田辺祐晟の「社会保障から見る資本主義・貨幣制度」

「議論百出の社会保障改善案に待ったをかける!社会保障ブログ」

社会保障の「解」~驚異のパラダイムシフト!性を利用した大衆支配からの脱却!

今回は大まじめに愛とセックスについて述べたい。
でもこういうと「何と卑猥な!」「ブログの質が下がる!」「品格を疑う!」などという声が聞こえてきそうである。しかし考えてみていただきたい。愛(セックスはその一つの表現形態)に勝る人々を動かすパワーは存在するだろうか?特に男女の性のからんだ愛ほど人々を突き動かすものはないだろうと感じる。また愛する人との充実したセックス(性行為)を日常的に行ってる人が、活力に満ちていなかったり、みじめな暮らしをしていたり、自殺したりするだろうか?大抵の場合こういう状態の人は他人にも愛を与えようと貢献の道に入るものであろう。
よってこの問題は国民総幸福(GNH)を考える上で決して避けては通れないテーマなのだ。
実は今回の投稿には大事なポイントがある。それは愛とセックスのパワーに大衆が目覚めてしまったら困ると感じた時の権力者がこの問題をゆがめてきた歴史的経緯があるのである。

この問題を考察する上で推薦したい本が二冊ある。「性に秘められた超スピリチュアルパワー(夏目祭子著・5次元文庫)」「タオ・コード(千賀一生著・5次元文庫)」だ。まさに目からウロコとはこのことだ、39歳にして私の性に関するパラダイムがまるっきり変わってしまうこととなった。
例えば売春という行為が人類最古の職業であるという一般的な認識がある。ところが、「性に秘められた超スピリチュアルパワー(夏目祭子著)」によれば、女性は男性よりも神により近い存在と崇められ、女性の体を通して神と繋がれると信じられていたそうだ。
古代ギリシャの神殿で客人である男性の相手を務めていた女性達(巫女)は男性が神と繋がるためのもてなしをしていたということが最古の職業の真相であるというのだ。さらにセックスとは本来一体である夫婦(男女)が性器によって結合し、エネルギー(オーラ)を一体化させるためのものであるという。ということはポルノで洗脳された我々の思い込みは射精型の快楽セックスであり、これは本来セックスに与えられた役割とは大きくかけ離れているということになる。

なるほど、確かにそうだ!と思う節はあるだろう。例えば私が見たことのある数少ない(!?)ポルノでは前戯もなくいきなり男性器のオーラルセックスから始まるものもあれば、射精の直前に女性の顔面に持っていきそこで射精するといったものまであったように記憶している。こうして書いている本人が赤面してしまうほどの赤裸々な描写であるが、これらの映像に共通して言えることは愛のカケラも感じられないということだ。
つまり男性は性欲と支配欲の発散をしているが、女性がちっとも大事にされていないという状態を感じるのだ。こんな卑猥な、女性を愚弄した大衆におかしな性癖を植え付けてしまう大衆扇動がまかり通っていいのだろうか?
こうしたイカレタ性文化に毒された男どもは数人集まればすぐに性の話になる。「何人とやったか?」とか「東南アジアのどこどこはよかった」などとなるのだ。これが全て悪いとは言わないが、そのようなゆがみ、かつ奔放な性生活から幸福が生まれるとは言いがたい、と言いたいのである。それを裏付けるものとして次のようなデータがある。
<性に関する国際調査>
■年間のSEX回数  日本:45回/年 (対象41ヶ国中最下位、1位:ギリシャ138回)
■過去1年間に5人以上と性交を持った人の比率 日本:4.6%
(出典)上段:(Global Sex Survey results)
下段:http://www.acc.go.jp/kenkyu/ekigaku/2000ekigaku/eki_015/015.htm
この点において日本人の回数は少ないが、複数人とセックスを行っている実態が浮かび上がってくる。事実、離婚の原因の99%はセックスレスだ。セックスレスとは1ヶ月以上セックスがない状態をいうらしい。
この原因の一つとして人々をウサギ小屋に住まわせるように仕向けた日本の住宅業界に文句が言いたいところだ。この背後には母なる大地に所有権を付け値段を吊り上げるという虚業に暗躍する不動産業界にも大きな問題があるが、この問題は別途述べるとして、問題は夫婦間の性の時間をキチンと取るなら、子供とは別に夫婦の寝室を確保することを標準とすべきである。
100歩譲って物理的な問題は考えようによってはなんとかなるとして、問題はソフト面だ。まず男性は種の保存のために宿命として種を無差別に撒き散らす習性のある生き物であるという偏った考えを捨てようではないか。そして謙虚になって女性の霊性をいただくというか、富と豊穣と多産の象徴として崇拝されていた時代の女性の尊厳を社会にもたらしてもう少し女性を大事にする、女性にとって住みやすい社会を作ろうではないか。
事実、このBlogではお金の問題のところで取り上げた貨幣学者:ベルナルド・リエター教授によれば、女性を崇拝していた時代には平和と減価する通貨が生まれた、という史実があるらしい。
女性を大事にすることは国民総幸福にとって極めて重要なテーマとして、私が代表を務めるNPO法人 社会保障研究所のコンセプトとしてまた追ってこのBlogでも取り上げていくが、女性が暮らしやすい社会を創るということは男性にとっても豊かさをもたらすことになるのだ。なぜなら男女は本来二つで一つだからである。

まとめに入る。前述の「性に秘められた超スピリチュアルパワー(夏目祭子)」によれば、時の権力者が宗教やポルノ、また歴史を捻じ曲げてまでどこか罪悪感の伴う、いびつな性のあり方を大衆に扇動してきた理由は、大衆が性の本質を知ったとき、人々がバイタリティーに溢れ社会を変革する原動力となってしまう怖れを感じていたからだというのである。逆にいえば、それほどまでに性によって大衆が得るパワーが強大なのであれば、これを使わない手はないのではないか?ということになる。
一つ参考になるノウハウがある。ポリネシアンセックスというらしいが、ポリネシア人や中国奥地の秘境の少数民族の間で伝統的に行われている方法らしいが、このポリネシアンセックスというのは男性器を女性器に挿入した状態で30分以上ピストン運動をしないということらしい。そうすることによって上述した男女のエネルギーが一体となるばかりか、女性もオルガズムに達するということだ。この方法を理解する前提として性器の基本性能を知る必要がある。①排泄器、②生殖器、③異性とエネルギーを交換するためのコネクター、であるということである。つまり③の機能を知り、活用するということである。
こうした性の真相を知っていた中国の皇帝などは後宮に何千人もの女性を抱えていたが③の機能を使い、不老不死のパワーをもらおうとしていたのだということだ。このとき皇帝は射精をしなかったそうだ。射精にはパワーの放出があるらしく、射精型のセックスという常識を植え付けていくことは、どんどん大衆のパワーを低下させることになる。大衆を支配する側にとって現代はさぞやりやすい社会になっていることだろう。

今回は少しセンシティブな性の問題に触れたが、どうか紹介した書籍やポリネシアンセックスをご自身でよくお調べになって、夫婦や恋人同士で性の問題についてよく話し合い、大いなる愛と豊かな性生活を享受され、そこから生まれるバイタリティーで限りある人生をより幸せなものにしていっていただきたいと切に願って本投稿の結びとしたい。

プロフィール

田辺祐晟 (たなべ・ゆうせい) 社会起業家 NPO法人社会保障研究所代表1969年生まれ。同志社大学卒業後、損害保険業12年間、生命保険業4年間で、法人・個人など数千件のフィナンシャルコンサルティングを経験。 2008年3月ビジネス・ブレークスルー大学院にてMBAを取得。同時に社会起業家として活動を開始。社会保障の在り方の視点から現在の資本主義、正確には「貨幣制度」の在り方に問題提起をしている。

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