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	<title>小倉正男の「続・Ｍ＆Ａ資本主義」</title>
	<link>http://kotonoha-media.com/blog/ogura</link>
	<description>世界規模のＭ＆Ａに日本企業はどうやって立ち向かうのか</description>
	<pubDate>Thu, 03 Dec 2009 11:51:59 +0000</pubDate>
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		<title>「座」の資本主義と「ユニクロ」の市場破壊＆創造</title>
		<link>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/34</link>
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		<pubDate>Thu, 03 Dec 2009 11:50:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

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		<description><![CDATA[
「座」の資本主義と「族議員化」　

「座」というものがつくられたのは室町幕府の時代かと思っていたら、そうではない。鎌倉～平安時代、あるいはさらに奈良などの時代に遡る必要があるようだ。

平安時代や室町時代に「座」が強固に発達したのは、京都という街が異常なまで繁栄していたことと無縁ではない。

京都には100万人に近い人口が集まり、最大の経済圏だった。呉服を筆頭に鍋釜、刀剣、農具、酒類、ありとあらゆるモノの生産基地であり、かつ最大の消費マーケットだった。

ちなみに、呉服は太古に呉の国から３名の織姫を貰い受け、京都でつくられ始め、和服（倭服）になっていった。ここは閑話休題である。

平安時代も室町時代も時の権力者は、繁栄しているところから税金を取ろうとするものである。平安時代は、朝廷、公家、寺社が権力者であり、室町時代は武家が権力者なのだが、生産者に手っ取り早く税金をかける。

生産、営業、出荷に対して上納金として税を課したわけである。これが｢座｣の発生につながっていく。「税」と「座」は密接に関係しているのである。

「座」は生産者に始まり、そのうち卸業者、小売業者にまで広がっていく。権力者は、それらの業者から上納させ、その代わりに、いまでいう「族議員化」していくことになる。

上納金を取られる側としては、大人しく払ったわけではない。上納金を払う代わりに、業界内の自治権を取ることになる。業界内に新規参入する場合の許可、不許可の権限を業界が握ることになる。それが「座」である。

上納金の代償として、カルテル結成権を取ったことになる。権力者は、もっぱら「族議員化」し、それを認めていったわけである。

権力者と生産者の結託、それが「座」である。生産者は権力者に上納金・税を納めるが、その分は利益に上乗せし、消費者に押し付ける。それは既得権益であり、そういうものだということで慣習化していく。

ファーストリテイリングは「亡国的な企業」という議論！？　

生産者は、業界という「共同体」をつくり、護送船団よろしく一社もツブさないように行動する。大塚久雄氏の『共同体の理論』では、「資本主義は、あらゆる共同体を崩壊させる」とされているが、日本の資本主義は「共同体」で根底がつくられている。

消費者庁などをつくって高い家賃のビルにお役人を座らせても、絆創膏を張る以下の効用もない。日本の資本主義の根底を見ないで、消費者庁などつくってもそれこそ税金のムダ使いである。ムダな役所は、仕分けの対象にしたほうはよいだろう。

「座」は、中世からの友愛といえば友愛なのだが、身についている問題だけに、どうにもならない。「座」の構造を崩壊させるのは、まだ兆しすらなかなか見えない。

ところで、「ユニクロ」は良い商品を驚くような価格で市場に出している。友人から、「ユニクロ」を展開しているファーストリテイリングには、「亡国的な企業」という評論があることを耳にした。資本というものは、国という枠組を超えたものなのだが、｢愛国｣「亡国」という枠組で非難されているという話だった。初耳の話である。

確かに、「ユニクロ」商品は、全国の衣料店を閉店に追い込むインパクトがある。価格破壊どころか、市場破壊である。だが、一方で、新しい市場を創造しているのも事実である。

消費者にとっては、消費者庁などといったものは早く仕分けにして、「ユニクロ」を顕彰したほうがよいような話である。
「ユニクロ」のような商品が、「座」の構造を基本にした日本の資本主義に風穴を開けている数少ない事例なのかもしれない。

確かに一方で、旧い市場が死ぬのは、生産者としては辛いことである。しかし、旧い市場、旧い企業を温存させることは、表面的には“暖かい”ことで、まさに“友愛”だが、それは本当に暖かいことで友愛なのだろうか。

モラトリアム（借金返済猶予）で弱った企業を延命させることは、「座」の資本主義の伝統には沿っているのだが、果たして、日本はそれでよいのか。
いっそ、消費者庁に続いてモラトリアム庁をつくって「ユニクロ」退治を行うか――。「亡国的な企業」という評論には、そんな下地が感じられないではない。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<strong>「座」の資本主義と「族議員化」　</strong><br />
<br />
「座」というものがつくられたのは室町幕府の時代かと思っていたら、そうではない。鎌倉～平安時代、あるいはさらに奈良などの時代に遡る必要があるようだ。<br />
<br />
平安時代や室町時代に「座」が強固に発達したのは、京都という街が異常なまで繁栄していたことと無縁ではない。<br />
<br />
京都には100万人に近い人口が集まり、最大の経済圏だった。呉服を筆頭に鍋釜、刀剣、農具、酒類、ありとあらゆるモノの生産基地であり、かつ最大の消費マーケットだった。<br />
<br />
ちなみに、呉服は太古に呉の国から３名の織姫を貰い受け、京都でつくられ始め、和服（倭服）になっていった。ここは閑話休題である。<br />
<br />
平安時代も室町時代も時の権力者は、繁栄しているところから税金を取ろうとするものである。平安時代は、朝廷、公家、寺社が権力者であり、室町時代は武家が権力者なのだが、生産者に手っ取り早く税金をかける。<br />
<br />
生産、営業、出荷に対して上納金として税を課したわけである。これが｢座｣の発生につながっていく。「税」と「座」は密接に関係しているのである。<br />
<br />
「座」は生産者に始まり、そのうち卸業者、小売業者にまで広がっていく。権力者は、それらの業者から上納させ、その代わりに、いまでいう「族議員化」していくことになる。<br />
<br />
上納金を取られる側としては、大人しく払ったわけではない。上納金を払う代わりに、業界内の自治権を取ることになる。業界内に新規参入する場合の許可、不許可の権限を業界が握ることになる。それが「座」である。<br />
<br />
上納金の代償として、カルテル結成権を取ったことになる。権力者は、もっぱら「族議員化」し、それを認めていったわけである。<br />
<br />
権力者と生産者の結託、それが「座」である。生産者は権力者に上納金・税を納めるが、その分は利益に上乗せし、消費者に押し付ける。それは既得権益であり、そういうものだということで慣習化していく。<br />
<br />
<strong>ファーストリテイリングは「亡国的な企業」という議論！？　</strong><br />
<br />
生産者は、業界という「共同体」をつくり、護送船団よろしく一社もツブさないように行動する。大塚久雄氏の『共同体の理論』では、「資本主義は、あらゆる共同体を崩壊させる」とされているが、日本の資本主義は「共同体」で根底がつくられている。<br />
<br />
消費者庁などをつくって高い家賃のビルにお役人を座らせても、絆創膏を張る以下の効用もない。日本の資本主義の根底を見ないで、消費者庁などつくってもそれこそ税金のムダ使いである。ムダな役所は、仕分けの対象にしたほうはよいだろう。<br />
<br />
「座」は、中世からの友愛といえば友愛なのだが、身についている問題だけに、どうにもならない。「座」の構造を崩壊させるのは、まだ兆しすらなかなか見えない。<br />
<br />
ところで、「ユニクロ」は良い商品を驚くような価格で市場に出している。友人から、「ユニクロ」を展開しているファーストリテイリングには、「亡国的な企業」という評論があることを耳にした。資本というものは、国という枠組を超えたものなのだが、｢愛国｣「亡国」という枠組で非難されているという話だった。初耳の話である。<br />
<br />
確かに、「ユニクロ」商品は、全国の衣料店を閉店に追い込むインパクトがある。価格破壊どころか、市場破壊である。だが、一方で、新しい市場を創造しているのも事実である。<br />
<br />
消費者にとっては、消費者庁などといったものは早く仕分けにして、「ユニクロ」を顕彰したほうがよいような話である。<br />
「ユニクロ」のような商品が、「座」の構造を基本にした日本の資本主義に風穴を開けている数少ない事例なのかもしれない。<br />
<br />
確かに一方で、旧い市場が死ぬのは、生産者としては辛いことである。しかし、旧い市場、旧い企業を温存させることは、表面的には“暖かい”ことで、まさに“友愛”だが、それは本当に暖かいことで友愛なのだろうか。<br />
<br />
モラトリアム（借金返済猶予）で弱った企業を延命させることは、「座」の資本主義の伝統には沿っているのだが、果たして、日本はそれでよいのか。<br />
いっそ、消費者庁に続いてモラトリアム庁をつくって「ユニクロ」退治を行うか――。「亡国的な企業」という評論には、そんな下地が感じられないではない。</p>
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		<title>グッドルーザー（よき敗者）などなまじにはなれない</title>
		<link>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/33</link>
		<comments>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/33#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 15 Sep 2009 13:18:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

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		<description><![CDATA[
「グッドルーザー」は稀有なこと

自民党首脳から「グッドルーザー」（よき敗者）論が出ているが、ちょっと違うのではないかと思わざるを得ない。

「グッドルーザー」になるには、敗北を敗北として認めなくてはならない。その上で、何故、敗北したのか、その原因のなかの原因を突き止めなくてはならない。「グッドルーザー」になるには、それが最低限の要件となる。

これがそう簡単ではない。原因は他人のせいにしたがるものである。そのほうが自らに痛みが伴わないし、先輩や仲間を責める必要もない。小さなプライドも保てる。責任も問わなくてよいし、誰にも傷もつかない。
下手をしたら敗北を敗北として認めないことすら出てくる。自分、そして自分たちは「被害者」だ、と楽なほうにと議論は流れる。

それでは「バッドルーザー」以外の何者でもない。
「バッドルーザー」は、本来、「グッドルーザー」論などを語る立場にないのに評論している。これこそ最悪の「バッドルーザー」である。れっきとした敗者が、「グッドルーザー」論などを流していること自体が、わきまえがないということになりかねない。

「風のせいだ」「風が悪かったのだ」。
自分を責めなくてよいから、みんなでそう言っていれば、そのうちみんなが本気でそう思い込んでしまうことになる。

「風」が巻き起こされたのは、どうしてなのかは、忘れてしまう。そのうちに「よい風」、「追い風」が吹いてくる。それまで待っていればよい。
敗北の原因も、さらに敗北そのものも忘れることになる。何もしないで「風」の流れが変わるのを待つというスタンスになる。

企業の世界でも「グッドルーザー」は多くない

企業の世界、あるいは経営者をみていても、「グッドルーザー」というのはそう多くはない。大半が、「バッドルーザー」である。
「バッドルーザー」でも蘇ることがある。それは自然治癒であり、まだ生命力があったということなのだろう。だが、生命力が衰えているケースが大半で、多くは糾合されたり、吸収されたり、消えていく。

「グッドルーザー」である企業はもともとほとんど数少ないが、しっかりと再生してくることになる。
旧い事例になるが、戦後、倒産しかけたトヨタがカイゼン、ジャストインタイムなどで立ち直り日本一の企業になったことなどが典型的な事例ではないか。負けたことで、世界に類例のないビンボー人の「自動車生産方式」を構築した。稀有な例というしかない。

あるいは、最近のケースでいえば、キリンホールディングスがそうした事例に入ると思われる。「キリンはスーパードライに負けた」。2000年前後に当時の佐藤安弘社長が社内改革に着手したことが、いまの反転攻勢につながっている。
それ以前のキリンの経営者は、ビールでアサヒに負けていないのだから、発泡酒や新ジャンル・第三のビールといった“羊頭狗肉の策”は必要ないというのが基本の考え方だった。

「晩酌していて旨くなかった」
当時、佐藤安弘社長は、負けていることを怒っていた。そして、負けていない、と言い張る経営者たちに怒りを持っていた。ただし、それは辛いことであり、軋轢すら生じることになりかねない。下手をすれば、会社のよき伝統にすら泥を塗ることになりかねない。辛い。“晩酌がまずい”という日々になる。

佐藤社長は、発泡酒「淡麗＜生＞」に賭けた。案の定、“羊頭狗肉”“まがいもの”と内外から批判を浴びた。
しかし、はたして「淡麗＜生＞」は、このジャンルのトップ商品となり、その後の新ジャンル・第三のビール「のどごし＜生＞」、「コクの時間」などでの凄まじい快走に弾みをつけた。

どう負けるかで先々の姿が決まる。負け方次第、負けをどう生かすかで稀なことだが、グッドルーザー、“破れざる者”になることもできる。どう負けるか、負けをどう生かすか、で企業経営も大きくベクトルが異なることになるということではないか。

ヘラヘラと「グッドルーザー」論などを評論している自民党に「グッドルーザー」になる資格は残されているのだろうか。
 
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<strong>「グッドルーザー」は稀有なこと</strong><br />
<br />
自民党首脳から「グッドルーザー」（よき敗者）論が出ているが、ちょっと違うのではないかと思わざるを得ない。<br />
<br />
「グッドルーザー」になるには、敗北を敗北として認めなくてはならない。その上で、何故、敗北したのか、その原因のなかの原因を突き止めなくてはならない。「グッドルーザー」になるには、それが最低限の要件となる。<br />
<br />
これがそう簡単ではない。原因は他人のせいにしたがるものである。そのほうが自らに痛みが伴わないし、先輩や仲間を責める必要もない。小さなプライドも保てる。責任も問わなくてよいし、誰にも傷もつかない。<br />
下手をしたら敗北を敗北として認めないことすら出てくる。自分、そして自分たちは「被害者」だ、と楽なほうにと議論は流れる。<br />
<br />
それでは「バッドルーザー」以外の何者でもない。<br />
「バッドルーザー」は、本来、「グッドルーザー」論などを語る立場にないのに評論している。これこそ最悪の「バッドルーザー」である。れっきとした敗者が、「グッドルーザー」論などを流していること自体が、わきまえがないということになりかねない。<br />
<br />
「風のせいだ」「風が悪かったのだ」。<br />
自分を責めなくてよいから、みんなでそう言っていれば、そのうちみんなが本気でそう思い込んでしまうことになる。<br />
<br />
「風」が巻き起こされたのは、どうしてなのかは、忘れてしまう。そのうちに「よい風」、「追い風」が吹いてくる。それまで待っていればよい。<br />
敗北の原因も、さらに敗北そのものも忘れることになる。何もしないで「風」の流れが変わるのを待つというスタンスになる。<br />
<br />
<strong>企業の世界でも「グッドルーザー」は多くない</strong><br />
<br />
企業の世界、あるいは経営者をみていても、「グッドルーザー」というのはそう多くはない。大半が、「バッドルーザー」である。<br />
「バッドルーザー」でも蘇ることがある。それは自然治癒であり、まだ生命力があったということなのだろう。だが、生命力が衰えているケースが大半で、多くは糾合されたり、吸収されたり、消えていく。<br />
<br />
「グッドルーザー」である企業はもともとほとんど数少ないが、しっかりと再生してくることになる。<br />
旧い事例になるが、戦後、倒産しかけたトヨタがカイゼン、ジャストインタイムなどで立ち直り日本一の企業になったことなどが典型的な事例ではないか。負けたことで、世界に類例のないビンボー人の「自動車生産方式」を構築した。稀有な例というしかない。<br />
<br />
あるいは、最近のケースでいえば、キリンホールディングスがそうした事例に入ると思われる。「キリンはスーパードライに負けた」。2000年前後に当時の佐藤安弘社長が社内改革に着手したことが、いまの反転攻勢につながっている。<br />
それ以前のキリンの経営者は、ビールでアサヒに負けていないのだから、発泡酒や新ジャンル・第三のビールといった“羊頭狗肉の策”は必要ないというのが基本の考え方だった。<br />
<br />
「晩酌していて旨くなかった」<br />
当時、佐藤安弘社長は、負けていることを怒っていた。そして、負けていない、と言い張る経営者たちに怒りを持っていた。ただし、それは辛いことであり、軋轢すら生じることになりかねない。下手をすれば、会社のよき伝統にすら泥を塗ることになりかねない。辛い。“晩酌がまずい”という日々になる。<br />
<br />
佐藤社長は、発泡酒「淡麗＜生＞」に賭けた。案の定、“羊頭狗肉”“まがいもの”と内外から批判を浴びた。<br />
しかし、はたして「淡麗＜生＞」は、このジャンルのトップ商品となり、その後の新ジャンル・第三のビール「のどごし＜生＞」、「コクの時間」などでの凄まじい快走に弾みをつけた。<br />
<br />
どう負けるかで先々の姿が決まる。負け方次第、負けをどう生かすかで稀なことだが、グッドルーザー、“破れざる者”になることもできる。どう負けるか、負けをどう生かすか、で企業経営も大きくベクトルが異なることになるということではないか。<br />
<br />
ヘラヘラと「グッドルーザー」論などを評論している自民党に「グッドルーザー」になる資格は残されているのだろうか。<br />
 </p>
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		</item>
		<item>
		<title>ローソンとマツキヨの「融合店」進出ーー規制緩和は悪か</title>
		<link>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/32</link>
		<comments>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/32#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 04 Sep 2009 14:21:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/32</guid>
		<description><![CDATA[
趣旨の違った小さな規制緩和でも思わぬほどの経済効果

最近では、規制緩和や市場主義、それに競争はすべて悪いものとされている。議論や検証なしで、そうなっている。

ローソンとマツキヨが提携して新業態店をつくることになった。ローソン、マツキヨは、コンビニとドラッグストァの「融合店」を今後の5年のうちに1000店規模で出店することになる、と発表している。

これなど典型的な規制緩和による効果である。それも思わぬ格好での規制緩和の効果になる。

厚生労働省が、一般医薬品販売の規制緩和を行った。従来は、薬剤師がいないと一般医薬品の販売はできなかった。それを薬剤師だけではなく、「登録販売者」を置けば、一般医薬品を売れるようにした。

厚生労働省は、ドラッグストァの人件費コストを軽減することを狙って規制緩和したといわれている。風邪薬を販売するのに、薬剤師をビシッと揃えていないと売れないでは、人件費コストが大変である。それで「登録販売者」をつくり、ドラッグストァの人件費を低下できるようにした。

お役所の基本スタンスは「業界保護」、つまりは企業・生産者＆販売者保護であり、そうでないと天下りの場所をつくれない。お役人性悪説によると、それが最初の動機だった、といわれている。

ところが、思わぬことが起こった。それならと、コンビニが一般医薬品販売に進出する動きが出てきた。厚生労働省の想定しないことが起こった。
厚生労働省は、コンビニなどが一般医薬品を販売する場合、2坪の売り場面積、長期の販売時間を義務付けた。

コンビニは30坪ぐらいの店舗だけに2坪はかなり比重が大きい。長期の販売時間は薬剤師、登録販売士が張り付くだけにコンビニには大きな人件費負担になる。コンビニが一般医薬品販売に出てこないように、あるいは出てきても安売り競争を防止する「規制」である。

これで一件落着。
「おぬしもワルじゃのう」ということで一献傾けていたら、
「お知らせがございます」
「ムム、なんじゃ、無粋な」
「大変でございます。ローソンとマツキヨが新業態のコンビニ・ドラッグストァ融合店1000店を出すとのことでございまする」

小さな、しかも趣旨がまったく違う規制緩和でも、このぐらいの経済効果がつくられる。
コンビニもドラッグストァも競争しないで、ぬるま湯につかっていても、それではいずれお客に愛想をつかされるだけだ。規制緩和で競争をつくるほうが、経済を強くして繁栄を目指せる面がある。新しい雇用もつくられる。

「風」「空気」に支配されているだけでは日本は悪くなるのみ

日本の規制緩和は、派遣労働など弱者に向けられたところがある。
ヒドイことに、人材派遣業などの規制緩和の流れに乗じて、月日を置いて、人材派遣会社に「天下った」とみられる政府高官もいる。「天下り」はお役人だけの話ではないのか。あるいは、こういうのは「天下り」とはいわないのだろうか。やや驚きである。

弱者のところに市場主義を入れるというのでは、「蟹工船」の世界になってしまう。
規制緩和は既得権益に守られた強者に向けるべきだ。
しかし、強者は、それこそ既得権益があるから、簡単には規制緩和に応じない。強者への規制緩和、市場主義導入はどうにも避けられている。

プロ野球などが典型で、「エクスパンション」、つまり球団の増加すらなされていない。札幌、仙台でプロ野球球団が成功している。金沢、新潟、熊本、鹿児島、高松などもプロ野球が欲しいのに持ってくることができない。これでは、地方経済の疲弊は止まらない。

いま、保育園の待機児童問題が社会問題になっている。しかし、調べると、これは「首都圏の待機児童問題」である。首都圏に幼児を持つ世代が極端に集中している。地方都市には仕事がない。首都圏に過度に集まるしかない。
それに加えて首都圏では共働きでないと生活できない。したがって首都圏では待機児童が途方もなく増加する。

ちょうど土地問題が、実は「首都圏の土地問題」であるのと同じ社会構造だ。
話はそれてしまったが、規制緩和しないほうが幸せなのか、規制緩和したほうが幸せなのか、少しは議論ぐらいしたほうがよいのではないか。
吹いている「風」や漂っている「空気」を読んで、それで決めているだけでは、日本はどこまでいってもよくならないのではないか。
 
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<strong>趣旨の違った小さな規制緩和でも思わぬほどの経済効果</strong><br />
<br />
最近では、規制緩和や市場主義、それに競争はすべて悪いものとされている。議論や検証なしで、そうなっている。<br />
<br />
ローソンとマツキヨが提携して新業態店をつくることになった。ローソン、マツキヨは、コンビニとドラッグストァの「融合店」を今後の5年のうちに1000店規模で出店することになる、と発表している。<br />
<br />
これなど典型的な規制緩和による効果である。それも思わぬ格好での規制緩和の効果になる。<br />
<br />
厚生労働省が、一般医薬品販売の規制緩和を行った。従来は、薬剤師がいないと一般医薬品の販売はできなかった。それを薬剤師だけではなく、「登録販売者」を置けば、一般医薬品を売れるようにした。<br />
<br />
厚生労働省は、ドラッグストァの人件費コストを軽減することを狙って規制緩和したといわれている。風邪薬を販売するのに、薬剤師をビシッと揃えていないと売れないでは、人件費コストが大変である。それで「登録販売者」をつくり、ドラッグストァの人件費を低下できるようにした。<br />
<br />
お役所の基本スタンスは「業界保護」、つまりは企業・生産者＆販売者保護であり、そうでないと天下りの場所をつくれない。お役人性悪説によると、それが最初の動機だった、といわれている。<br />
<br />
ところが、思わぬことが起こった。それならと、コンビニが一般医薬品販売に進出する動きが出てきた。厚生労働省の想定しないことが起こった。<br />
厚生労働省は、コンビニなどが一般医薬品を販売する場合、2坪の売り場面積、長期の販売時間を義務付けた。<br />
<br />
コンビニは30坪ぐらいの店舗だけに2坪はかなり比重が大きい。長期の販売時間は薬剤師、登録販売士が張り付くだけにコンビニには大きな人件費負担になる。コンビニが一般医薬品販売に出てこないように、あるいは出てきても安売り競争を防止する「規制」である。<br />
<br />
これで一件落着。<br />
「おぬしもワルじゃのう」ということで一献傾けていたら、<br />
「お知らせがございます」<br />
「ムム、なんじゃ、無粋な」<br />
「大変でございます。ローソンとマツキヨが新業態のコンビニ・ドラッグストァ融合店1000店を出すとのことでございまする」<br />
<br />
小さな、しかも趣旨がまったく違う規制緩和でも、このぐらいの経済効果がつくられる。<br />
コンビニもドラッグストァも競争しないで、ぬるま湯につかっていても、それではいずれお客に愛想をつかされるだけだ。規制緩和で競争をつくるほうが、経済を強くして繁栄を目指せる面がある。新しい雇用もつくられる。<br />
<br />
<strong>「風」「空気」に支配されているだけでは日本は悪くなるのみ</strong><br />
<br />
日本の規制緩和は、派遣労働など弱者に向けられたところがある。<br />
ヒドイことに、人材派遣業などの規制緩和の流れに乗じて、月日を置いて、人材派遣会社に「天下った」とみられる政府高官もいる。「天下り」はお役人だけの話ではないのか。あるいは、こういうのは「天下り」とはいわないのだろうか。やや驚きである。<br />
<br />
弱者のところに市場主義を入れるというのでは、「蟹工船」の世界になってしまう。<br />
規制緩和は既得権益に守られた強者に向けるべきだ。<br />
しかし、強者は、それこそ既得権益があるから、簡単には規制緩和に応じない。強者への規制緩和、市場主義導入はどうにも避けられている。<br />
<br />
プロ野球などが典型で、「エクスパンション」、つまり球団の増加すらなされていない。札幌、仙台でプロ野球球団が成功している。金沢、新潟、熊本、鹿児島、高松などもプロ野球が欲しいのに持ってくることができない。これでは、地方経済の疲弊は止まらない。<br />
<br />
いま、保育園の待機児童問題が社会問題になっている。しかし、調べると、これは「首都圏の待機児童問題」である。首都圏に幼児を持つ世代が極端に集中している。地方都市には仕事がない。首都圏に過度に集まるしかない。<br />
それに加えて首都圏では共働きでないと生活できない。したがって首都圏では待機児童が途方もなく増加する。<br />
<br />
ちょうど土地問題が、実は「首都圏の土地問題」であるのと同じ社会構造だ。<br />
話はそれてしまったが、規制緩和しないほうが幸せなのか、規制緩和したほうが幸せなのか、少しは議論ぐらいしたほうがよいのではないか。<br />
吹いている「風」や漂っている「空気」を読んで、それで決めているだけでは、日本はどこまでいってもよくならないのではないか。<br />
 </p>
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		</item>
		<item>
		<title>消えた「日本型ワークシェアリング」～歴史に残る政治家と残らない政治家</title>
		<link>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/31</link>
		<comments>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/31#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 16 Aug 2009 10:00:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

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		<description><![CDATA[
「日本型ワークシェアリング」というものが、案の定、消えた。
「日本型ワークシェアリング」が騒がれたのは、この3月のことだ。政府、日本経団連、連合が協議をして、残業を削減するという合意をした。残業を削減した企業には、厚生労働省が「残業削減雇用維持奨励金」という“ご褒美”、いや補助金を出すというのである。

この「日本型ワークシェアリング」というものは、すでに３回目ということだ。不況になると持ち出され、毎度、定着しないというクビを傾げざるを得ない制度である。日本的な政策というか、やっているふりのような政策だ。

3月時点では、不況の深刻化から、雇用創出のためにワークシェアリングの必要性が騒がれていた。世界的にみて、このような“弁慶の勧進帳”のような、つまり中身がないのにあるようにみせるような政策はありえない。それを大企業労組の連合まで手を貸して、セレモニーを行った。

政府、日本経団連、連合がわざわざ手を携えて記者会見を行い、国が補助金を出すというのだが、ではワークシェアリングは増えたのか。

増えたどころか、消えたのが実体だ。
はい、こういう制度をつくり、お国が補助金を撒きます。はい、一丁上がり、お仕舞い、ということである。ワークシェアリングは消えた。

普通、世界的には、ワークシェアリングを実現するということは、残業料率を上げることを意味する。深夜を含む残業料率、土日の残業料率を通常勤務の30%増し～50%増しにペナルティとして上げる。そうすれば、残業をさせることが高いものとなり、残業をさせるより一人多く雇用したほうが安いものになる。

国、日本経団連、連合が記者会見を行うより、麻生太郎首相（当時）が国民に向かって「勤労者の皆さん、お手持ちの有給休暇を全部消化してほしい」、と話したほうがむしろ実体上有効だったのではないか。

麻生太郎首相には、最初からやる気がないのだから、そうした智恵が出てくることもないのだが。実は、有給休暇を消化することのほうがワークシェアリングの近道なのである。
本気ではない、そして中身もない政策を出し、やる気をみせるだけのようなアリバイ証明型の政治では国民に見透かされるだけである。

ちなみに、ワークシェアリングは、大恐慌時の1936年に、フランス人民戦線のレオン･ブルム内閣首班が、週労働時間40時間、年間2週間の有給休暇を制度として導入したことから開始されている。大恐慌の恐怖のなかで、雇用増加を目指して真摯に実験し、挑戦した制度である。もちろん、週40時間労働制も画期的なものだったし、有給休暇の実施も人類史上初めてのものだった。
これは、資本家が嫌がる、資本が逃げる、などの行動が惹起される困難な政策だった。

「日本型ワークシェアリング」は、そうした歴史からみたら、まったくワークシェアリングの名に値しないのではないか。
レオン･ブルムの政策が有効性を持ったかどうかは別にして、レオン･ブルムが行ったワークシェアリングは歴史に残った。
麻生太郎首相の行った「日本型ワークシェアリング」は歴史に残るひとかけらでもあるだろうか。これは残念なことである。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
「日本型ワークシェアリング」というものが、案の定、消えた。<br />
「日本型ワークシェアリング」が騒がれたのは、この3月のことだ。政府、日本経団連、連合が協議をして、残業を削減するという合意をした。残業を削減した企業には、厚生労働省が「残業削減雇用維持奨励金」という“ご褒美”、いや補助金を出すというのである。<br />
<br />
この「日本型ワークシェアリング」というものは、すでに３回目ということだ。不況になると持ち出され、毎度、定着しないというクビを傾げざるを得ない制度である。日本的な政策というか、やっているふりのような政策だ。<br />
<br />
3月時点では、不況の深刻化から、雇用創出のためにワークシェアリングの必要性が騒がれていた。世界的にみて、このような“弁慶の勧進帳”のような、つまり中身がないのにあるようにみせるような政策はありえない。それを大企業労組の連合まで手を貸して、セレモニーを行った。<br />
<br />
政府、日本経団連、連合がわざわざ手を携えて記者会見を行い、国が補助金を出すというのだが、ではワークシェアリングは増えたのか。<br />
<br />
増えたどころか、消えたのが実体だ。<br />
はい、こういう制度をつくり、お国が補助金を撒きます。はい、一丁上がり、お仕舞い、ということである。ワークシェアリングは消えた。<br />
<br />
普通、世界的には、ワークシェアリングを実現するということは、残業料率を上げることを意味する。深夜を含む残業料率、土日の残業料率を通常勤務の30%増し～50%増しにペナルティとして上げる。そうすれば、残業をさせることが高いものとなり、残業をさせるより一人多く雇用したほうが安いものになる。<br />
<br />
国、日本経団連、連合が記者会見を行うより、麻生太郎首相（当時）が国民に向かって「勤労者の皆さん、お手持ちの有給休暇を全部消化してほしい」、と話したほうがむしろ実体上有効だったのではないか。<br />
<br />
麻生太郎首相には、最初からやる気がないのだから、そうした智恵が出てくることもないのだが。実は、有給休暇を消化することのほうがワークシェアリングの近道なのである。<br />
本気ではない、そして中身もない政策を出し、やる気をみせるだけのようなアリバイ証明型の政治では国民に見透かされるだけである。<br />
<br />
ちなみに、ワークシェアリングは、大恐慌時の1936年に、フランス人民戦線のレオン･ブルム内閣首班が、週労働時間40時間、年間2週間の有給休暇を制度として導入したことから開始されている。大恐慌の恐怖のなかで、雇用増加を目指して真摯に実験し、挑戦した制度である。もちろん、週40時間労働制も画期的なものだったし、有給休暇の実施も人類史上初めてのものだった。<br />
これは、資本家が嫌がる、資本が逃げる、などの行動が惹起される困難な政策だった。<br />
<br />
「日本型ワークシェアリング」は、そうした歴史からみたら、まったくワークシェアリングの名に値しないのではないか。<br />
レオン･ブルムの政策が有効性を持ったかどうかは別にして、レオン･ブルムが行ったワークシェアリングは歴史に残った。<br />
麻生太郎首相の行った「日本型ワークシェアリング」は歴史に残るひとかけらでもあるだろうか。これは残念なことである。</p>
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		<item>
		<title>剰余金１０９兆円、１００年に一度の危機に１円も取り崩さない「法人資本主義」</title>
		<link>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/30</link>
		<comments>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/30#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 07 May 2009 13:08:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/30</guid>
		<description><![CDATA[
トヨタ自動車、キャノンといった日本を代表する“経団連会長企業”が先頭を切って行った大量の非正規社員雇用打ち切りで表面化したのが、日本の大企業の内部留保の分厚さである。はしなくも、日本の資本主義の異様さが露呈したわけだが、企業内部に残した巨額の剰余金などは、世界的にみても類例がないものだ。

資本金10億円以上の大企業の剰余金は、08年9月ベースで１０９兆円強の水準にある。「巨額の剰余金は、一〇〇年に一度といわれるいまの経済危機にこそ使われるべきカネではないか」という意見がメディアから出されるのは自然な成り行きだが、現実はそうはなっていない。日本の大企業は、１０９兆円強という膨大な剰余金を営々と貯め込みながら、それを生きガネにしようとする意気込みをみせていない。

本社敷地など埋蔵金型内部留保も膨大な「法人資本主義」

剰余金は、企業の内部留保の中心だが、資本剰余金と利益剰余金で構成されている。とりわけ、この間、増加しているのが利益剰余金である。利益剰余金とは、稼ぎ出した期間利益を積立金、繰越利益という形で企業内部に残したカネのことだ。　

日本の大企業は10年前に比べて、剰余金を32兆４０００億円ほど増加させている。この剰余金増加分だけで正社員年収の６２０万人分になると試算されている。法人税率が実質40％超と世界的に高い部類に入る日本で、世界的にみても異常に高い剰余金の積み増しが行われていることになる。

以前には、分厚い剰余金は、キャッシュリッチのシンボルとされ、その割には収益力が低く株価も低いということでハゲタカ風のファンドなどのＭ＆Ａ攻勢の危険にさらされる要因だった。いまはファンドの衰退でＭ＆Ａの危機が去ったが、実は日本企業の内部留保は何も巨額の剰余金だけではない。

剰余金以外にも日本の大企業には、隠れた内部留保がある。例えば、東京や大阪など大都市に本社ビルや工場を持つ企業は、不動産という形でキャッシュになり変わりうる含み資産を持っている。いわば、これなどは埋蔵金型の内部留保になる。

日本の資本主義の本質はかねてから「法人資本主義」と指摘されてきているのだが、異様なほどの内部留保の分厚さは、隠されていたその本質がはしなくも露呈しているとみるべきである。

もちろん、トヨタ自動車やキャノンなどにしても、「我々が切ったのはあくまで非正規社員であり、正規社員には指一本触れていない」、という言い分はあるに違いない。これらの日本の優良企業にとっては、メディアの非正規社員切りへの感情をまじえての社会的な批判は、予想を大きく超えたものだったとみられる。

従業員、株主には薄く分配、法人に分厚く報いたのが巨額剰余金

利益剰余金だけに限定しても、トヨタ自動車12兆７０００億円、キャノン２兆９０００億円にみられるように日本の優良企業は巨額のキャッシュを貯め込んできている。

企業の内部留保が分厚くなるというのは、設備投資、Ｍ＆Ａなどの先行投資をしていない、期間工、派遣などを含む従業員に給料、ボーナスの格好で厚く分配していない、株主、投資家にも配当、自社株買いなどので厚く報いていない、といったことで生み出されている。

従業員にはこの間の景気回復にはボーナスなどの変動費で報い、ベースとなる賃金などの固定費は上げないままで推移してきている。株主には、このところ、配当の増加があった、とメディアは伝えているが、元々が低水準な配当だったわけで世界的には依然としてまだまだ低配当でしかない。

要は、企業が稼いだ利益の分配の問題なのだが、大きな偏りがみられるわけである。企業が稼いだ利益を、稼いだ割には従業員、株主に分配していないのが日本の資本主義である。

「企業が倒産などの危機に陥るといったような、いざというときのために利益剰余金などの内部留保を分厚くしておく必要がある」
これが、日本企業が稼いだ利益を翌期に繰り越して利益剰余金をひたすら積みまして企業に蓄積してきた日本の大企業経営者たちの大義名分にほかならない。

何のことはない。企業（法人）は、自らの企業（法人）にいちばん分厚く分配している。“転ばぬ前の杖”も確かに必要だが、杖を使う人間が痩せ細り、杖のみが超え太っているようなものだ。

本末転倒、アメリカの資本主義が「株主資本主義」なら、日本の資本主義は「法人資本主義」である。日本の資本主義は「法人資本主義」であるという批判が１９８０年代後半の不動産バブル期に行われたが、それはまったく変わらず生き残っているということになる。

確かに、あの不動産バブルは、日本の大企業がカネ余りのなかでオフィス用地を買い漁ったことが発火点になっている。80年代の日本に勃発した不動産バブルは、日本の製造業がアメリカなど世界で稼いだカネが国内の金融機関に滞留し、それがサービス産業などに供給されて起こされた法人による投機現象だった。

アメリカのサブプライムローン破綻では、とりあえず住宅の買い手が個人である。ところが、日本のバブルでは常に企業にカネが溜まりすぎることから発している。同じバブル、バブル崩壊現象でも、根本的に趣を異にしている。

「社得」なし！剰余金が生きガネになった事例はまったくない

日本企業の分厚い剰余金も実体としてはすべてキャッシュというわけではない。株式や債券に化けているケースも少なくないわけだから、かなり“傷ん”でいることも想定できる。ただし、目減りはしているが、すべて吹き飛んだわけではない。

では、これら貯め込んだ剰余金をいつどういう状況なら使うのか。ひたすら従業員や株主への分配を抑え、企業の体力のみを養ってきたわけだが、それが習い姓となり、そもそも何のための剰余金なのか目的が喪失している。日本企業にとっては、いつどんなときに剰余金を活用するかのメドはまったく考えてこなかったのが実情である。

その点では、皮肉にもこの世界的な経済危機は、日本企業の利益配分を振り返って考えるよい機会になっている面がある。この経済危機がなければ、日本企業は目的を問わずどこまでも剰余金を積み上げていくことになったに違いない。

「企業が倒産するといった、いざという危機のときに剰余金を取り崩す」、という剰余金取り崩しの一定の尺度が曖昧ながら語られているが、それはあまりに観念論にすぎる。倒産などという緊急事態にまで企業が陥ったときは、実は剰余金の大半がなしくずしで使われており、“机上の論”でしかないのが通例だ。つまり剰余金が生きガネとして使われるといった事例は、日本資本主義にまったくないのがこれまでの実体ではないか。

「法人資本主義」では人間の豊かさはどこまでも後回し

トヨタ自動車、キャノンなどのキャッシュリッチの優良企業の多くは、「剰余金など取り崩して使い出したらアッという間に消えてなくなるものだ」としている。確かに、それはそういうものだろう。しかし、そうであるなら驕れる者も驕らざる者も同列であり、ともに久しからず、ということになる。
それなら、日本企業の代表にほかならないトヨタ自動車あたりが、剰余金を生きガネとして活用することを考え抜いて、他の一般の日本企業に模範事例を示すような行動を取ることが必要ではないかと思われる。

以前の2000年～01年当時のことだが、トヨタ自動車会長としていわば経営者としてのピーク時に、日本経団連前会長（トヨタ自動車・前取締役相談役）の奥田碩が発言した「社得」とはそうしたことではないか。「リストラするなら経営者は腹を切れ」。奥田碩は、そうした正論を吐いて、日本にはまっとうな経営者が数少ないが存在することを示した、といわれた。

もっとも、01年当時の停滞期においては、“困難事は先送り”を常としてきた日本の大企業経営者がようやくリストラなど辛い社内改革に踏み出した時期だった。そうした辛い行動に踏み出した企業経営者にとっては、あまりに綺麗事に過ぎる発言だったことも事実である。

そのときにはトヨタ自動車は「人狩り」に発展するほど人手不足を抱える直前にあり、他の一般業界の企業が行っていたリストラを非難･批判できる立場にあった。状況が一変すれば、以前の発言はなかったものにするでは、残念ながら奥田碩・日本経団連前会長の「社得」発言や「リストラするなら経営者は腹を切れ」という歯切れのよい発言は、いわば付け焼刃だったことになりかねない。

そうしたことがないようにトヨタ自動車の豊田章男新社長は、はたして剰余金を生きガネとして使うことができるだろうか。事態は、トヨタ自動車のみならずだが、日本企業の「社得」そのものが問われていることになる。

経営者層を含む従業員たち、あるいは株主たちよりも、あくまで企業が最優先という「法人資本主義」では、他人の懐を当てにする外需依存の経済しか出口がない。そうしたところから日本の資本主義をベーシックに組み替えていかないと、日本の経済はいつまでもアメリカ、中国など需要先である世界経済の好不調に振り回されるしかない。あなた任せではない、相対的に安定した自立した経済を目指すには、第一義に経営者を含む従業員、株主などの個人を豊かにすることをベクトルに据えた「人間資本主義」への転換を志向すべきではないだろうか。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
トヨタ自動車、キャノンといった日本を代表する“経団連会長企業”が先頭を切って行った大量の非正規社員雇用打ち切りで表面化したのが、日本の大企業の内部留保の分厚さである。はしなくも、日本の資本主義の異様さが露呈したわけだが、企業内部に残した巨額の剰余金などは、世界的にみても類例がないものだ。<br />
<br />
資本金10億円以上の大企業の剰余金は、08年9月ベースで１０９兆円強の水準にある。「巨額の剰余金は、一〇〇年に一度といわれるいまの経済危機にこそ使われるべきカネではないか」という意見がメディアから出されるのは自然な成り行きだが、現実はそうはなっていない。日本の大企業は、１０９兆円強という膨大な剰余金を営々と貯め込みながら、それを生きガネにしようとする意気込みをみせていない。<br />
<br />
<strong>本社敷地など埋蔵金型内部留保も膨大な「法人資本主義」</strong><br />
<br />
剰余金は、企業の内部留保の中心だが、資本剰余金と利益剰余金で構成されている。とりわけ、この間、増加しているのが利益剰余金である。利益剰余金とは、稼ぎ出した期間利益を積立金、繰越利益という形で企業内部に残したカネのことだ。　<br />
<br />
日本の大企業は10年前に比べて、剰余金を32兆４０００億円ほど増加させている。この剰余金増加分だけで正社員年収の６２０万人分になると試算されている。法人税率が実質40％超と世界的に高い部類に入る日本で、世界的にみても異常に高い剰余金の積み増しが行われていることになる。<br />
<br />
以前には、分厚い剰余金は、キャッシュリッチのシンボルとされ、その割には収益力が低く株価も低いということでハゲタカ風のファンドなどのＭ＆Ａ攻勢の危険にさらされる要因だった。いまはファンドの衰退でＭ＆Ａの危機が去ったが、実は日本企業の内部留保は何も巨額の剰余金だけではない。<br />
<br />
剰余金以外にも日本の大企業には、隠れた内部留保がある。例えば、東京や大阪など大都市に本社ビルや工場を持つ企業は、不動産という形でキャッシュになり変わりうる含み資産を持っている。いわば、これなどは埋蔵金型の内部留保になる。<br />
<br />
日本の資本主義の本質はかねてから「法人資本主義」と指摘されてきているのだが、異様なほどの内部留保の分厚さは、隠されていたその本質がはしなくも露呈しているとみるべきである。<br />
<br />
もちろん、トヨタ自動車やキャノンなどにしても、「我々が切ったのはあくまで非正規社員であり、正規社員には指一本触れていない」、という言い分はあるに違いない。これらの日本の優良企業にとっては、メディアの非正規社員切りへの感情をまじえての社会的な批判は、予想を大きく超えたものだったとみられる。<br />
<br />
<strong>従業員、株主には薄く分配、法人に分厚く報いたのが巨額剰余金</strong><br />
<br />
利益剰余金だけに限定しても、トヨタ自動車12兆７０００億円、キャノン２兆９０００億円にみられるように日本の優良企業は巨額のキャッシュを貯め込んできている。<br />
<br />
企業の内部留保が分厚くなるというのは、設備投資、Ｍ＆Ａなどの先行投資をしていない、期間工、派遣などを含む従業員に給料、ボーナスの格好で厚く分配していない、株主、投資家にも配当、自社株買いなどので厚く報いていない、といったことで生み出されている。<br />
<br />
従業員にはこの間の景気回復にはボーナスなどの変動費で報い、ベースとなる賃金などの固定費は上げないままで推移してきている。株主には、このところ、配当の増加があった、とメディアは伝えているが、元々が低水準な配当だったわけで世界的には依然としてまだまだ低配当でしかない。<br />
<br />
要は、企業が稼いだ利益の分配の問題なのだが、大きな偏りがみられるわけである。企業が稼いだ利益を、稼いだ割には従業員、株主に分配していないのが日本の資本主義である。<br />
<br />
「企業が倒産などの危機に陥るといったような、いざというときのために利益剰余金などの内部留保を分厚くしておく必要がある」<br />
これが、日本企業が稼いだ利益を翌期に繰り越して利益剰余金をひたすら積みまして企業に蓄積してきた日本の大企業経営者たちの大義名分にほかならない。<br />
<br />
何のことはない。企業（法人）は、自らの企業（法人）にいちばん分厚く分配している。“転ばぬ前の杖”も確かに必要だが、杖を使う人間が痩せ細り、杖のみが超え太っているようなものだ。<br />
<br />
本末転倒、アメリカの資本主義が「株主資本主義」なら、日本の資本主義は「法人資本主義」である。日本の資本主義は「法人資本主義」であるという批判が１９８０年代後半の不動産バブル期に行われたが、それはまったく変わらず生き残っているということになる。<br />
<br />
確かに、あの不動産バブルは、日本の大企業がカネ余りのなかでオフィス用地を買い漁ったことが発火点になっている。80年代の日本に勃発した不動産バブルは、日本の製造業がアメリカなど世界で稼いだカネが国内の金融機関に滞留し、それがサービス産業などに供給されて起こされた法人による投機現象だった。<br />
<br />
アメリカのサブプライムローン破綻では、とりあえず住宅の買い手が個人である。ところが、日本のバブルでは常に企業にカネが溜まりすぎることから発している。同じバブル、バブル崩壊現象でも、根本的に趣を異にしている。<br />
<br />
<strong>「社得」なし！剰余金が生きガネになった事例はまったくない</strong><br />
<br />
日本企業の分厚い剰余金も実体としてはすべてキャッシュというわけではない。株式や債券に化けているケースも少なくないわけだから、かなり“傷ん”でいることも想定できる。ただし、目減りはしているが、すべて吹き飛んだわけではない。<br />
<br />
では、これら貯め込んだ剰余金をいつどういう状況なら使うのか。ひたすら従業員や株主への分配を抑え、企業の体力のみを養ってきたわけだが、それが習い姓となり、そもそも何のための剰余金なのか目的が喪失している。日本企業にとっては、いつどんなときに剰余金を活用するかのメドはまったく考えてこなかったのが実情である。<br />
<br />
その点では、皮肉にもこの世界的な経済危機は、日本企業の利益配分を振り返って考えるよい機会になっている面がある。この経済危機がなければ、日本企業は目的を問わずどこまでも剰余金を積み上げていくことになったに違いない。<br />
<br />
「企業が倒産するといった、いざという危機のときに剰余金を取り崩す」、という剰余金取り崩しの一定の尺度が曖昧ながら語られているが、それはあまりに観念論にすぎる。倒産などという緊急事態にまで企業が陥ったときは、実は剰余金の大半がなしくずしで使われており、“机上の論”でしかないのが通例だ。つまり剰余金が生きガネとして使われるといった事例は、日本資本主義にまったくないのがこれまでの実体ではないか。<br />
<br />
<strong>「法人資本主義」では人間の豊かさはどこまでも後回し</strong><br />
<br />
トヨタ自動車、キャノンなどのキャッシュリッチの優良企業の多くは、「剰余金など取り崩して使い出したらアッという間に消えてなくなるものだ」としている。確かに、それはそういうものだろう。しかし、そうであるなら驕れる者も驕らざる者も同列であり、ともに久しからず、ということになる。<br />
それなら、日本企業の代表にほかならないトヨタ自動車あたりが、剰余金を生きガネとして活用することを考え抜いて、他の一般の日本企業に模範事例を示すような行動を取ることが必要ではないかと思われる。<br />
<br />
以前の2000年～01年当時のことだが、トヨタ自動車会長としていわば経営者としてのピーク時に、日本経団連前会長（トヨタ自動車・前取締役相談役）の奥田碩が発言した「社得」とはそうしたことではないか。「リストラするなら経営者は腹を切れ」。奥田碩は、そうした正論を吐いて、日本にはまっとうな経営者が数少ないが存在することを示した、といわれた。<br />
<br />
もっとも、01年当時の停滞期においては、“困難事は先送り”を常としてきた日本の大企業経営者がようやくリストラなど辛い社内改革に踏み出した時期だった。そうした辛い行動に踏み出した企業経営者にとっては、あまりに綺麗事に過ぎる発言だったことも事実である。<br />
<br />
そのときにはトヨタ自動車は「人狩り」に発展するほど人手不足を抱える直前にあり、他の一般業界の企業が行っていたリストラを非難･批判できる立場にあった。状況が一変すれば、以前の発言はなかったものにするでは、残念ながら奥田碩・日本経団連前会長の「社得」発言や「リストラするなら経営者は腹を切れ」という歯切れのよい発言は、いわば付け焼刃だったことになりかねない。<br />
<br />
そうしたことがないようにトヨタ自動車の豊田章男新社長は、はたして剰余金を生きガネとして使うことができるだろうか。事態は、トヨタ自動車のみならずだが、日本企業の「社得」そのものが問われていることになる。<br />
<br />
経営者層を含む従業員たち、あるいは株主たちよりも、あくまで企業が最優先という「法人資本主義」では、他人の懐を当てにする外需依存の経済しか出口がない。そうしたところから日本の資本主義をベーシックに組み替えていかないと、日本の経済はいつまでもアメリカ、中国など需要先である世界経済の好不調に振り回されるしかない。あなた任せではない、相対的に安定した自立した経済を目指すには、第一義に経営者を含む従業員、株主などの個人を豊かにすることをベクトルに据えた「人間資本主義」への転換を志向すべきではないだろうか。</p>
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		<title>世界大恐慌～1930年代の経済政策に何を学ぶか（2）</title>
		<link>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/29</link>
		<comments>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/29#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 06 Mar 2009 12:33:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

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		<description><![CDATA[
ヒトラーはひたすら軍拡、１００ヶ月住宅ローン金利タダを実施

欧州列強諸国の緊張関係をテコに、フランス、イタリヤとも軍拡を進めて雇用を拡大し、失業者を救済する行動をとった面もある。それを大々的にやったのはドイツのヒトラーである。巷にあふれる失業者を救済するには軍拡が手っ取り早いのだが、当時のヒトラーの閣僚の一部には、「軍拡だけで財政が破綻し、ヒトラー政権はいずれ持たないと思っていた」、という証言が残っているほどである。

ドイツでは、第一次世界大戦で男性が軍人として戦線に派遣され、女性がその穴埋めとして職場で働いた。第一次世界大戦後は、男性が失業者となり、女性が職場でそのまま働くケースが少なくなった。そうしたケースの夫婦では、女性（奥さん）が家庭に戻り、その代わりに男性（亭主）が奥さんの働いていた職場などで働くことを国家的に奨励した。

奨励策として、夫婦が職場と家庭に入れ替わった場合、その家庭の住宅ローン金利を100ヶ月（8年３ヶ月）間タダにした。かくしてドイツでは、女性が職場から消えることになった。ヒトラーとしては、第一次世界大戦が、銃後の不満・反乱から敗戦を迎えたという思いが強く、女性を職場から家庭に戻し、ドイツ人一般に残業をさせないようすらしている。「ドイツ人は一等国民だから残業はさせない」、という理屈で説明をしている。

当時の軍需相であるアルベルト・シュペイヤーなどは第二次世界大戦後にアメリカ戦略爆撃調査団に対して、「我々はアメリカのニュース映画で、アメリカの女性が飛行機、戦車などの生産ラインに立っているのを見て涙を流した。我々はドイツ女性を生産ラインに立たせることができなかった。我々は総力戦の体制を取れなかった」と証言している。「ドイツは総力戦をしたくてもできなかった」というわけである。

日本のいまの政治家は、ときどき政府のスポークスマンの官房長官などが、「ヒトラーのように国民を口先や言葉だけで扇動することなどできませんよ」、ということを記者会見で軽々に発言することがないではない。

しかし、これは大きな認識不足であり、ファシストほど民衆の支持を得ることに全力を尽くしていることを知るべきである。ドイツ国民のみならず、どの国民も民政や経済政策で動くのであり、いつの時代でも扇動や口先だけでは動かない。一時的であれ、ヒトラーへの民衆の陶酔があったのは、実利が提供されたことが大きいということを見逃してはならない。

ヒトラーは、アウトバーンなどの高速道路建設など土木工事も活発化させ、徹底した失業者対策を施したことも知られている。財政規律とか、財政破綻などの概念は、ヒトラーにはもとからなかったというしかない。需要拡大政策を推進しまくり、民衆の支持をひたすら獲得する政策を推進した。

昭和恐慌真っ只なかの日本も1931年に満州事変を起こして軍需経済に突入していった。当時の日本の基幹産業である綿紡績を中心とする繊維産業は、軍服や軍人用マント需要などで一時的に息を吹き返した。当時の第二次若槻禮次郎内閣は、満州事変を「結果よし」として曖昧なまま追認し、軍部暴走を取り締まり、処罰することをしなかった。いわば、軍部暴走を事実上認める禍根を残してしまうことになった。「統帥権」という問題があり政府の軍部統制が及ばなかった面があったにしても、シビリアン（政府・文民）が自ら軍部に対するコントロール（統制）を放棄したようなものである。

経済政策は30年代の大恐慌に深く学べ

いまサブプライムローンに端を発した世界的な金融・経済危機に際して、アメリカは７７５０億ドル（72兆円）の景気対策を打ち出している。２年間で３０００億ドル（28兆円）の大幅減税も盛り込まれている。イギリス、ドイツ、フランスなども景気・雇用対策に従来に見られない規模の予算を組んでいる。中国にしても４兆元（56兆円）の国内基盤インフラ投資を中心にした内需拡大政策を公表している。

アメリカ、イギリスを筆頭に危機感に満ちた景気テコ入れ政策に踏み切っている。各国とも財政の一時的な大幅悪化には目をつぶって、なりふり構わぬ大判振る舞いである。

対する日本の麻生太郎内閣は、何らの実効性のある経済政策は打ち出せていない。麻生内閣の景気対策の目玉は、2兆円の定額給付金に尽きる。これが景気対策の「真水」の中核にほかならない。これが見えみえのばら撒きなのだが、評判はどこに聞いてもよいものではない。
１９３０年代の「世界大恐慌」など歴史認識に乏しい麻生内閣の致命的な弱点が露呈している感がある。底の浅い選挙対策と経済政策を混同したところに麻生内閣の浅知恵が見透かされる結果となっている。漫画しか読まないというユニーク性の悪い面、深い勉強をまったくしていない弱点が隠せなくなっているといえそうだ。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<strong>ヒトラーはひたすら軍拡、１００ヶ月住宅ローン金利タダを実施</strong><br />
<br />
欧州列強諸国の緊張関係をテコに、フランス、イタリヤとも軍拡を進めて雇用を拡大し、失業者を救済する行動をとった面もある。それを大々的にやったのはドイツのヒトラーである。巷にあふれる失業者を救済するには軍拡が手っ取り早いのだが、当時のヒトラーの閣僚の一部には、「軍拡だけで財政が破綻し、ヒトラー政権はいずれ持たないと思っていた」、という証言が残っているほどである。<br />
<br />
ドイツでは、第一次世界大戦で男性が軍人として戦線に派遣され、女性がその穴埋めとして職場で働いた。第一次世界大戦後は、男性が失業者となり、女性が職場でそのまま働くケースが少なくなった。そうしたケースの夫婦では、女性（奥さん）が家庭に戻り、その代わりに男性（亭主）が奥さんの働いていた職場などで働くことを国家的に奨励した。<br />
<br />
奨励策として、夫婦が職場と家庭に入れ替わった場合、その家庭の住宅ローン金利を100ヶ月（8年３ヶ月）間タダにした。かくしてドイツでは、女性が職場から消えることになった。ヒトラーとしては、第一次世界大戦が、銃後の不満・反乱から敗戦を迎えたという思いが強く、女性を職場から家庭に戻し、ドイツ人一般に残業をさせないようすらしている。「ドイツ人は一等国民だから残業はさせない」、という理屈で説明をしている。<br />
<br />
当時の軍需相であるアルベルト・シュペイヤーなどは第二次世界大戦後にアメリカ戦略爆撃調査団に対して、「我々はアメリカのニュース映画で、アメリカの女性が飛行機、戦車などの生産ラインに立っているのを見て涙を流した。我々はドイツ女性を生産ラインに立たせることができなかった。我々は総力戦の体制を取れなかった」と証言している。「ドイツは総力戦をしたくてもできなかった」というわけである。<br />
<br />
日本のいまの政治家は、ときどき政府のスポークスマンの官房長官などが、「ヒトラーのように国民を口先や言葉だけで扇動することなどできませんよ」、ということを記者会見で軽々に発言することがないではない。<br />
<br />
しかし、これは大きな認識不足であり、ファシストほど民衆の支持を得ることに全力を尽くしていることを知るべきである。ドイツ国民のみならず、どの国民も民政や経済政策で動くのであり、いつの時代でも扇動や口先だけでは動かない。一時的であれ、ヒトラーへの民衆の陶酔があったのは、実利が提供されたことが大きいということを見逃してはならない。<br />
<br />
ヒトラーは、アウトバーンなどの高速道路建設など土木工事も活発化させ、徹底した失業者対策を施したことも知られている。財政規律とか、財政破綻などの概念は、ヒトラーにはもとからなかったというしかない。需要拡大政策を推進しまくり、民衆の支持をひたすら獲得する政策を推進した。<br />
<br />
昭和恐慌真っ只なかの日本も1931年に満州事変を起こして軍需経済に突入していった。当時の日本の基幹産業である綿紡績を中心とする繊維産業は、軍服や軍人用マント需要などで一時的に息を吹き返した。当時の第二次若槻禮次郎内閣は、満州事変を「結果よし」として曖昧なまま追認し、軍部暴走を取り締まり、処罰することをしなかった。いわば、軍部暴走を事実上認める禍根を残してしまうことになった。「統帥権」という問題があり政府の軍部統制が及ばなかった面があったにしても、シビリアン（政府・文民）が自ら軍部に対するコントロール（統制）を放棄したようなものである。<br />
<br />
<strong>経済政策は30年代の大恐慌に深く学べ</strong><br />
<br />
いまサブプライムローンに端を発した世界的な金融・経済危機に際して、アメリカは７７５０億ドル（72兆円）の景気対策を打ち出している。２年間で３０００億ドル（28兆円）の大幅減税も盛り込まれている。イギリス、ドイツ、フランスなども景気・雇用対策に従来に見られない規模の予算を組んでいる。中国にしても４兆元（56兆円）の国内基盤インフラ投資を中心にした内需拡大政策を公表している。<br />
<br />
アメリカ、イギリスを筆頭に危機感に満ちた景気テコ入れ政策に踏み切っている。各国とも財政の一時的な大幅悪化には目をつぶって、なりふり構わぬ大判振る舞いである。<br />
<br />
対する日本の麻生太郎内閣は、何らの実効性のある経済政策は打ち出せていない。麻生内閣の景気対策の目玉は、2兆円の定額給付金に尽きる。これが景気対策の「真水」の中核にほかならない。これが見えみえのばら撒きなのだが、評判はどこに聞いてもよいものではない。<br />
１９３０年代の「世界大恐慌」など歴史認識に乏しい麻生内閣の致命的な弱点が露呈している感がある。底の浅い選挙対策と経済政策を混同したところに麻生内閣の浅知恵が見透かされる結果となっている。漫画しか読まないというユニーク性の悪い面、深い勉強をまったくしていない弱点が隠せなくなっているといえそうだ。</p>
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		<item>
		<title>世界大恐慌～1930年代の経済政策に何を学ぶか（1）</title>
		<link>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/28</link>
		<comments>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/28#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 27 Feb 2009 14:09:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

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		<description><![CDATA[
　「世界大恐慌」に見舞われた１９３０年代は、経済政策の宝庫の時代の一面がある。各国ともそれぞれ不況打開を目指して景気テコ入れを進め、いまの経済政策の雛形になるような手を次々に打った。最終的には、第二次世界大戦という軍需・軍拡経済に突入し、平和時の景気テコ入れ政策は放棄されるにいたった。いま、世界経済は、１００年に一度といわれる金融恐慌状態に陥っているが、１９３０年代の各国の経済政策をあらためて振り返ってみることは無意味ではない。

ルーズベルトは資本主義修正に踏み込む

この時代、アメリカのＦ・Ｄ・ルーズベルト大統領が、テネシー川流域開発など大規模な財政出動による公共投資で雇用を拡大したことは広く知られている。ダムをつくり、治水、植林を進め、農村地帯の電化事業を推進させた。遅れていた社会インフラの整備を行い、失業者救済を促進した。

アメリカの資本主義は、古典的なレッセフェール（自由放任）が基本的枠組みで、資本家サイドのやりたい放題に近いものだった。ルーズベルトは、最低賃金制度を確立させ、労働者が労働組合を結成することなどにも心を砕いた面がある。資本主義の枠組みには手をつけずそのまま維持しながら、労働者サイドへの所得分配を極力図り、有効需要の回復に努力した。ケインズ経済政策、すなわち、古典的な資本主義を修正する動きだった。ただし、これはいわば民間経済に政府が介入するもので、資本家サイドからは“社会主義経済・赤呼ばわり”をされ、大きな反発や資本逃避を呼ぶものだった。

当時は、アメリカの主力産業にほかならない農業がバブル崩壊状態だった。アメリカの農業は、第一次世界大戦後は、農地拡大や農機購入で借金漬けとなっており、その一方で農産物価格の低下に見舞われるというダブルパンチ状態になっていた。ルーズベルトは、農民に低利の政府融資を行い、銀行などからの高利融資の返済をさせている。これも底辺から、有効需要を回復させる試みだった。

ルーズベルトのニューディール政策は、連邦制の壁に阻まれ、アメリカ全土に浸透させるには困難を極めた。最低賃金制の確立などを訴えても、各州ベースでは阻止されることも少なくなかった。ルーズベルトが連邦制の壁を打ち破るために使ったのが当時の新しいメディアだったラジオである。ルーズベルトは、「炉辺談話（ファイヤーサイド・チャット）」というラジオ番組で全国民に直接訴えた。ＰＲ（パブリック・リレーションズ）という新手法を使ったことでも知られる。

アメリカと対照的なのがイギリスだ。イギリスは、伝統的なレッセフェールを維持し、政府の民間経済への介入はあくまで排除する政策をまったく変えなかった。ケインズ政策には否定的だった。

ただし、貿易面では輸入品には高関税を課し、輸出品には支援・奨励の特恵策を施した。第一次世界大戦のよる体力の大幅な消耗で保護主義、ブロック経済に転じたわけである。イギリスは、世界に先駆け19世紀なかばから自由貿易主義を掲げてきたが、ついにそれを放棄するにいたった。これはイギリスが世界貿易の強者から弱者に転じたことを示し、世界の覇権国のポジションから滑り落ちたことを意味するものだった。

ブルム、ムッソリーニは時短・週労働40時間制実施

イギリスとは異なり、大陸の欧州列強諸国、すなわちフランス、ドイツ、イタリヤなどは目新しい経済政策を続々と繰り出している。　　

いずれも社会主義、あるいは国家社会主義をベースにした経済政策であるところから、良くも悪くも従来にない目新しさが出てきている面がある。イギリス流のレッセフェールを基本にした資本主義を修正、あるいは否定する動きにほかならないが、ともあれ、これらにも見るべき経済政策があるのも事実である。

フランスでは、反ファシズム左翼連合のレオン・ブルム人民戦線内閣が政権を担い、労働時間短縮（週労働時間40時間制）を旗印に２週間の有給休暇を実施した。これは失業者を救済するためのワークシェアリング（仕事の分割）による雇用増、実質賃金増を狙ったものだ。労働者への所得配分の是正による需要の回復、さらには余暇の増加によるサービス産業の育成を狙った経済政策である。

ちなみに、有給休暇はレーニンがソビェト政権を樹立したときに法律上では制定がなされているが、実質的には空文に過ぎなかった。実施したのはレオン・ブルムの人民戦線内閣が世界で最初である。ただし、これも労働コストの増加を嫌う資本家が、資本逃避を行うという側面を惹起することになった。

イタリヤでは、ムッソリーニが率いる国家ファシスタ党政権によるファシズム政策が実施された。ムッソリーニは、悪行、悪名とどろくファシストであることはもちろんだが、当初の経済政策は注目してよい側面を持っている。もっとも当初においては社会主義的な色彩が強く週労働時間40時間制を実施した。イタリヤは、週労働時間の実体が70時間という国だっただけに、労働者階級から大きな喝采を浴びた。時短は、実質賃金を上げ、ワークシェリング効果をもたらす面がある。当初の短い間には、労働者階級のモラルが上がり、「イタリヤの国鉄がダイヤ通りに動いたのは、ムッソリーニ政権の初期だけだ」という逸話を残している。

ムッソリーニは、スイスで、亡命していたレーニンに政治的薫陶を受けたとされているが、初期に関してはファシストよりも社会主義の色彩を持っていたと見ることもできそうだ。イタリヤ側のリビエラなどの地中海リゾート開発など大規模な土木工事も進めて雇用創出も進めている。悪名ばかりが残っているムッソリーニだが、意外な経済政策を採っている面もないではないわけである。第二次世界大戦後のイタリヤでは、労働法制ではムッソリーニ労働法を手本にしたといわれている。ファシストの国民への派手な人気取り政策の面が否定できないにしても、一定の先見性もあったように思われる。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
　「世界大恐慌」に見舞われた１９３０年代は、経済政策の宝庫の時代の一面がある。各国ともそれぞれ不況打開を目指して景気テコ入れを進め、いまの経済政策の雛形になるような手を次々に打った。最終的には、第二次世界大戦という軍需・軍拡経済に突入し、平和時の景気テコ入れ政策は放棄されるにいたった。いま、世界経済は、１００年に一度といわれる金融恐慌状態に陥っているが、１９３０年代の各国の経済政策をあらためて振り返ってみることは無意味ではない。<br />
<br />
<strong>ルーズベルトは資本主義修正に踏み込む</strong><br />
<br />
この時代、アメリカのＦ・Ｄ・ルーズベルト大統領が、テネシー川流域開発など大規模な財政出動による公共投資で雇用を拡大したことは広く知られている。ダムをつくり、治水、植林を進め、農村地帯の電化事業を推進させた。遅れていた社会インフラの整備を行い、失業者救済を促進した。<br />
<br />
アメリカの資本主義は、古典的なレッセフェール（自由放任）が基本的枠組みで、資本家サイドのやりたい放題に近いものだった。ルーズベルトは、最低賃金制度を確立させ、労働者が労働組合を結成することなどにも心を砕いた面がある。資本主義の枠組みには手をつけずそのまま維持しながら、労働者サイドへの所得分配を極力図り、有効需要の回復に努力した。ケインズ経済政策、すなわち、古典的な資本主義を修正する動きだった。ただし、これはいわば民間経済に政府が介入するもので、資本家サイドからは“社会主義経済・赤呼ばわり”をされ、大きな反発や資本逃避を呼ぶものだった。<br />
<br />
当時は、アメリカの主力産業にほかならない農業がバブル崩壊状態だった。アメリカの農業は、第一次世界大戦後は、農地拡大や農機購入で借金漬けとなっており、その一方で農産物価格の低下に見舞われるというダブルパンチ状態になっていた。ルーズベルトは、農民に低利の政府融資を行い、銀行などからの高利融資の返済をさせている。これも底辺から、有効需要を回復させる試みだった。<br />
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ルーズベルトのニューディール政策は、連邦制の壁に阻まれ、アメリカ全土に浸透させるには困難を極めた。最低賃金制の確立などを訴えても、各州ベースでは阻止されることも少なくなかった。ルーズベルトが連邦制の壁を打ち破るために使ったのが当時の新しいメディアだったラジオである。ルーズベルトは、「炉辺談話（ファイヤーサイド・チャット）」というラジオ番組で全国民に直接訴えた。ＰＲ（パブリック・リレーションズ）という新手法を使ったことでも知られる。<br />
<br />
アメリカと対照的なのがイギリスだ。イギリスは、伝統的なレッセフェールを維持し、政府の民間経済への介入はあくまで排除する政策をまったく変えなかった。ケインズ政策には否定的だった。<br />
<br />
ただし、貿易面では輸入品には高関税を課し、輸出品には支援・奨励の特恵策を施した。第一次世界大戦のよる体力の大幅な消耗で保護主義、ブロック経済に転じたわけである。イギリスは、世界に先駆け19世紀なかばから自由貿易主義を掲げてきたが、ついにそれを放棄するにいたった。これはイギリスが世界貿易の強者から弱者に転じたことを示し、世界の覇権国のポジションから滑り落ちたことを意味するものだった。<br />
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<strong>ブルム、ムッソリーニは時短・週労働40時間制実施</strong><br />
<br />
イギリスとは異なり、大陸の欧州列強諸国、すなわちフランス、ドイツ、イタリヤなどは目新しい経済政策を続々と繰り出している。　　<br />
<br />
いずれも社会主義、あるいは国家社会主義をベースにした経済政策であるところから、良くも悪くも従来にない目新しさが出てきている面がある。イギリス流のレッセフェールを基本にした資本主義を修正、あるいは否定する動きにほかならないが、ともあれ、これらにも見るべき経済政策があるのも事実である。<br />
<br />
フランスでは、反ファシズム左翼連合のレオン・ブルム人民戦線内閣が政権を担い、労働時間短縮（週労働時間40時間制）を旗印に２週間の有給休暇を実施した。これは失業者を救済するためのワークシェアリング（仕事の分割）による雇用増、実質賃金増を狙ったものだ。労働者への所得配分の是正による需要の回復、さらには余暇の増加によるサービス産業の育成を狙った経済政策である。<br />
<br />
ちなみに、有給休暇はレーニンがソビェト政権を樹立したときに法律上では制定がなされているが、実質的には空文に過ぎなかった。実施したのはレオン・ブルムの人民戦線内閣が世界で最初である。ただし、これも労働コストの増加を嫌う資本家が、資本逃避を行うという側面を惹起することになった。<br />
<br />
イタリヤでは、ムッソリーニが率いる国家ファシスタ党政権によるファシズム政策が実施された。ムッソリーニは、悪行、悪名とどろくファシストであることはもちろんだが、当初の経済政策は注目してよい側面を持っている。もっとも当初においては社会主義的な色彩が強く週労働時間40時間制を実施した。イタリヤは、週労働時間の実体が70時間という国だっただけに、労働者階級から大きな喝采を浴びた。時短は、実質賃金を上げ、ワークシェリング効果をもたらす面がある。当初の短い間には、労働者階級のモラルが上がり、「イタリヤの国鉄がダイヤ通りに動いたのは、ムッソリーニ政権の初期だけだ」という逸話を残している。<br />
<br />
ムッソリーニは、スイスで、亡命していたレーニンに政治的薫陶を受けたとされているが、初期に関してはファシストよりも社会主義の色彩を持っていたと見ることもできそうだ。イタリヤ側のリビエラなどの地中海リゾート開発など大規模な土木工事も進めて雇用創出も進めている。悪名ばかりが残っているムッソリーニだが、意外な経済政策を採っている面もないではないわけである。第二次世界大戦後のイタリヤでは、労働法制ではムッソリーニ労働法を手本にしたといわれている。ファシストの国民への派手な人気取り政策の面が否定できないにしても、一定の先見性もあったように思われる。</p>
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		<title>09年世界経済動向のカギを握るドル信任問題～ドルは持ちこたえられるか　</title>
		<link>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/27</link>
		<comments>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/27#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 25 Dec 2008 14:04:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

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		<description><![CDATA[
シャルル・ドゴールのゴールドウォー（金戦争）　

１９６０年代後半にシャルル・ドゴールのゴールドウォー（金戦争）というものがあったことを知っておられるだろうか。
この戦争は、当時のコールドウォー（冷戦）にひっかけたのだろうが、ゴールドウォーと呼ばれた。ドゴールの「金戦争」の相手・戦争当事国はほかならぬニクソン大統領のアメリカだった。ドゴールは、なんとアメリカと“戦争”したのである。

ドゴールは、第二次世界大戦時からアメリカに預けていたフランスの金を持ち帰らせることを宣言し、さらにフランスが保有するドル札と金との交換をアメリカに要求した。
その際、ドゴールは巡洋艦をアメリカに派遣し、フランスの金を取り戻しにいかせている。

１９７１年には、ドルと金の兌換停止、ドル通貨の切り下げという「ニクソン・ショック」が起こった。絶対的な基軸通貨だったドルが決定的な揺らぎを見せた。ドゴールが保有するドルと金を交換しろと迫った「金戦争＝政治行動」は正しい「経済行為」だったことになる。

戦争で強くなり、戦争で衰退したドル　

ドルが世界の基軸通貨になっていったのは、第一次世界大戦、第二次世界大戦という戦争を経てのことである。
第一次世界大戦は、その当時、「欧州大戦（ヨーロピアンウォー）」といわれたようにイギリス、フランスとドイツの戦争の枠組みを持っている。アメリカは食料や軍需物資を欧州に供給し債権国になっていった。

第二次世界大戦では、アメリカは戦争の当事国だが、やはり食料、軍需物資を欧州連合国に供給している。強大な生産国だったということになる。アメリカ本土は、戦場にならなかったためである。

アメリカが食料品、物財とも世界に供給するということは、アメリカが「世界の穀倉地帯」で、かつ「世界の工場」であることを意味していた。アメリカのドルは、第一次世界大戦、第二次世界大戦という戦争をテコとして、世界の基軸通貨になっていった。

アメリカが食料品、物財を供給した見返りに、世界から金がアメリカに移動し、第二次世界大戦直後には、アメリカは世界の金の７０％を保有するまでになっていった。

それだけではなく、フランスなど欧州各国は保有する金を、戦場となっていないアメリカ本土に預けていた。
欧州は戦場であり、自国に金を置けば、敵に奪われてしまう差し迫った危険があった。それがフランスを始め欧州諸国の金がアメリカに保管されていた背景にある。

ドゴールが巡洋艦をアメリカに派遣して、自国の金をものものしくフランスに輸送させたのは、そうした事情による。ニクソンとしては、基地や空母などから爆撃機を派遣してドゴールの巡洋艦に爆弾のひとつやふたつを嫌がらせで落としたかったのではないか。

ドルは価値を持ちこたえられるか　　

「ニクソン・ショック」にいたったのは、ベトナム戦争によるアメリカの財政悪化があった。ベトナム戦争は、その前の朝鮮動乱に続いて“持ち出しだけの戦争”だった。そこが二度の世界大戦と異なるところである。
ベトナム戦争も、アメリカが戦場になったわけではないが、いわば“持ち出しばかりの戦争”にほかならなかった。

アメリカ国内の軍需産業は潤うにしても、ベトナム戦争は、あるいは一般的に戦争はというべきだが、究極の「財政出動」であり、蕩尽でしかない。
とりあえずドルを刷りまくるしかないから、アメリカに集中していた金はあっという間に流失し、ドルの金兌換は停止するしかなかった。

いまのアメリカによるアフガン、イラクの戦争も“持ち出しだけの戦争”である。アメリカが戦場になっていないのは同じだが、アメリカはすでに「世界の工場」の座を中国、日本、韓国などに譲っている。
「世界の穀倉地帯」は変わらないが、「世界の工場」から「世界最大の消費地」に変わっている。いま、ドル価値の信任問題に火がついているのは無理からぬところになる。

アメリカは、二度の世界大戦をテコに世界の覇権国に登り詰めた。だが、朝鮮動乱、ベトナム戦争、そしてアフガン、イラクの戦争の長期ドロ沼化、それに同時並行で勃発したサブプライムローンに端を発した金融危機で、世界を恐慌状態に陥れている。
アメリカは、「世界の工場」は放棄し、「世界の金融」を支配したが、それが火だるまとなっている。

二度の世界大戦後、世界の覇権国となったアメリカは、朝鮮、ベトナム、そしてアフガン、イラクといった戦争を経るたびに、通貨であるドルが信任問題に揺さぶられることになっている。アメリカにとっても、戦争は大きな重荷になっているということではないか。

ドルが、この先、なんとか価値を持ちこたえるか、持ちこたえられないか、私自身は必ずしも悲観論ではないのだが、2009年以降の世界経済はその重たい動向に決定的に依存している。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
<strong>シャルル・ドゴールのゴールドウォー（金戦争）　</strong><br />
<br />
１９６０年代後半にシャルル・ドゴールのゴールドウォー（金戦争）というものがあったことを知っておられるだろうか。<br />
この戦争は、当時のコールドウォー（冷戦）にひっかけたのだろうが、ゴールドウォーと呼ばれた。ドゴールの「金戦争」の相手・戦争当事国はほかならぬニクソン大統領のアメリカだった。ドゴールは、なんとアメリカと“戦争”したのである。<br />
<br />
ドゴールは、第二次世界大戦時からアメリカに預けていたフランスの金を持ち帰らせることを宣言し、さらにフランスが保有するドル札と金との交換をアメリカに要求した。<br />
その際、ドゴールは巡洋艦をアメリカに派遣し、フランスの金を取り戻しにいかせている。<br />
<br />
１９７１年には、ドルと金の兌換停止、ドル通貨の切り下げという「ニクソン・ショック」が起こった。絶対的な基軸通貨だったドルが決定的な揺らぎを見せた。ドゴールが保有するドルと金を交換しろと迫った「金戦争＝政治行動」は正しい「経済行為」だったことになる。<br />
<br />
<strong>戦争で強くなり、戦争で衰退したドル　</strong><br />
<br />
ドルが世界の基軸通貨になっていったのは、第一次世界大戦、第二次世界大戦という戦争を経てのことである。<br />
第一次世界大戦は、その当時、「欧州大戦（ヨーロピアンウォー）」といわれたようにイギリス、フランスとドイツの戦争の枠組みを持っている。アメリカは食料や軍需物資を欧州に供給し債権国になっていった。<br />
<br />
第二次世界大戦では、アメリカは戦争の当事国だが、やはり食料、軍需物資を欧州連合国に供給している。強大な生産国だったということになる。アメリカ本土は、戦場にならなかったためである。<br />
<br />
アメリカが食料品、物財とも世界に供給するということは、アメリカが「世界の穀倉地帯」で、かつ「世界の工場」であることを意味していた。アメリカのドルは、第一次世界大戦、第二次世界大戦という戦争をテコとして、世界の基軸通貨になっていった。<br />
<br />
アメリカが食料品、物財を供給した見返りに、世界から金がアメリカに移動し、第二次世界大戦直後には、アメリカは世界の金の７０％を保有するまでになっていった。<br />
<br />
それだけではなく、フランスなど欧州各国は保有する金を、戦場となっていないアメリカ本土に預けていた。<br />
欧州は戦場であり、自国に金を置けば、敵に奪われてしまう差し迫った危険があった。それがフランスを始め欧州諸国の金がアメリカに保管されていた背景にある。<br />
<br />
ドゴールが巡洋艦をアメリカに派遣して、自国の金をものものしくフランスに輸送させたのは、そうした事情による。ニクソンとしては、基地や空母などから爆撃機を派遣してドゴールの巡洋艦に爆弾のひとつやふたつを嫌がらせで落としたかったのではないか。<br />
<br />
<strong>ドルは価値を持ちこたえられるか　</strong>　<br />
<br />
「ニクソン・ショック」にいたったのは、ベトナム戦争によるアメリカの財政悪化があった。ベトナム戦争は、その前の朝鮮動乱に続いて“持ち出しだけの戦争”だった。そこが二度の世界大戦と異なるところである。<br />
ベトナム戦争も、アメリカが戦場になったわけではないが、いわば“持ち出しばかりの戦争”にほかならなかった。<br />
<br />
アメリカ国内の軍需産業は潤うにしても、ベトナム戦争は、あるいは一般的に戦争はというべきだが、究極の「財政出動」であり、蕩尽でしかない。<br />
とりあえずドルを刷りまくるしかないから、アメリカに集中していた金はあっという間に流失し、ドルの金兌換は停止するしかなかった。<br />
<br />
いまのアメリカによるアフガン、イラクの戦争も“持ち出しだけの戦争”である。アメリカが戦場になっていないのは同じだが、アメリカはすでに「世界の工場」の座を中国、日本、韓国などに譲っている。<br />
「世界の穀倉地帯」は変わらないが、「世界の工場」から「世界最大の消費地」に変わっている。いま、ドル価値の信任問題に火がついているのは無理からぬところになる。<br />
<br />
アメリカは、二度の世界大戦をテコに世界の覇権国に登り詰めた。だが、朝鮮動乱、ベトナム戦争、そしてアフガン、イラクの戦争の長期ドロ沼化、それに同時並行で勃発したサブプライムローンに端を発した金融危機で、世界を恐慌状態に陥れている。<br />
アメリカは、「世界の工場」は放棄し、「世界の金融」を支配したが、それが火だるまとなっている。<br />
<br />
二度の世界大戦後、世界の覇権国となったアメリカは、朝鮮、ベトナム、そしてアフガン、イラクといった戦争を経るたびに、通貨であるドルが信任問題に揺さぶられることになっている。アメリカにとっても、戦争は大きな重荷になっているということではないか。<br />
<br />
ドルが、この先、なんとか価値を持ちこたえるか、持ちこたえられないか、私自身は必ずしも悲観論ではないのだが、2009年以降の世界経済はその重たい動向に決定的に依存している。</p>
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		<title>世界経済は「神の手」から「人の手」に移行～「市場原理主義」が消え、「ケインズ経済」一色に変貌</title>
		<link>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/26</link>
		<comments>http://kotonoha-media.com/blog/ogura/archives/26#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 02 Dec 2008 14:44:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

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		<description><![CDATA[
サブプライムローン破綻に端を発したアメリカ発の金融恐慌は、あっという間に、世界中を覆いつくしてしまった。世界は、いま、新たなる“大恐慌”の只中にいる。

世界を支配してきた「市場原理主義」という神の突然死

巨大な金融恐慌は、これまでの全能の神とされ、世界経済を席巻・支配してきた「市場原理主義」を直撃した。
いまという時点では、「市場原理主義」というアメリカがつくりあげた神は死んだに等しい状況になっている。

だが、世界のマネーを自国に還流させファイナンシャル・ビジネスで荒稼ぎをしてきたアメリカが、むざむざその巨利を生む魔法の杖を捨て去ることはありえない。
その魔法の杖とは、「市場原理主義」にほかならない。

アメリカはファイナンシャル・ビジネスでしか生き残る方法がない。すでにアメリカはモノづくりを放棄している。アメリカは時期を見ながら、生き残りを賭けて、じっくりと「市場原理主義」の蘇生を密かに図ることになる。

市場には神が宿る――。市場からあらゆる規制や政府介入を排除し、できる限り自由な市場にしていけば、神の見えざる手によって、経済は繁栄を遂げていく。「新自由主義」とも呼ばれているが、「市場原理主義」の信念、つまり確固たる考え方は、そうしたものだった。

リーマン・ショックを境に世界の金融市場は、100年に一度、あるいは1930年代の「世界大恐慌」に匹敵するといわれる大混乱に陥っている。
この大混乱は、金融だけではなく、自動車を筆頭に世界のあらゆる実体経済に広範囲かつ深刻な打撃をもたらしている。

しかも、金融、実体経済とも、どこでこの大津波を鎮めることができるのかのメドをいまだつけるにいたっていない。下手をすれば世界を底の見えない大不況に陥らせる可能性すら否定できない。

世界の救世主は「見える手」＝財政出動に早変わりした

この新たな巨大な恐慌により、世界は一夜明けたら、「市場原理主義」から、政府の市場経済への介入に大転換を遂げてしまった。死んでいたはずのケインズ政策、すなわち「市場原理主義」の対極にある財政出動を伴う経済政策が一気に甦っている。

こんな大変化も100年に一度のことに違いない。まさに驚きの早変わりである。
グリーンスパン前ＦＲＢ議長が、「銀行などが利益を追求すれば、結果的に株主や会社の資産が守られると思っていたが、間違いだった」と、「市場原理主義」の誤りをあまりにも率直に認めた。

グリーンスパンは、まぎれもなく「市場原理主義」の司祭であり、アメリカを1980年代のどん底から1990年代の“一人勝ちの経済”に導いた大立者である。
それは苦悩の告白であったに違いない。「市場原理主義」という神の死を司祭自らが認めた瞬間だった。

「市場原理主義」では、政府が人為的に市場経済に手を入れるなど、神の領域を侵す行為とされてきた。市場を自由放任にすれば、例外なしにすべてうまくいく、というのがグリーンスパンその人の信念だった。「市場原理主義」の立場からは、ケインズ経済など無神論・瀆神的な考え方扱いをされてきた。

ところが、世界を席巻した考え方・信念にほかならない「市場原理主義」が、まるで嘘のように吹き飛んでしまっている。世界の経済は、その救世主を、神の見えざる手から、人の見える手＝財政出動に、急遽差し替えたのである。

規模を問わない、しかもそのうえ素早い見える手、「大型で迅速かつ持続的な財政出動が必要だ」、という発言がアメリカのポールソン財務長官、ルービン、サマーズの元財務長官などから相次いで打ち出されている。ウソだろ、といいたくなるが、それが現実である。

アメリカ“一人勝ち経済”のレバレッジはまさに「市場原理主義」だった

筋金入りの「市場原理主義」たちを宗旨替えさせたものは、アメリカを筆頭に直面している世界経済の危機の深刻さにほかならない。では、何故このような目も当てられない惨状をさらす羽目になったのか――。

アメリカにどん底から“一人勝ちの経済”という奇跡をもたらしたのはまぎれもなく「市場原理主義」だが、それは金融市場で最大の効果を発揮した。アメリカは、自動車などのモノづくりをあきらめ、金融工学を駆使したフィナンシャル・ビジネスに活路を求めた。

富裕層ではない、つまり信用力が低い人々向けの住宅ローンであるサブプライムローンなどの金融商品の開発などがその典型にほかならない。サブプライムローンで住宅を購入し、当初の２年間はローンの支払いは軽減される。その間に住宅が値上がりすれば、担保・信用力が上がり、低金利のプライムローンに移行できる。

あくまで住宅価格が上がるということが前提条件だが、富裕層ではない人々にも住宅ローンをどんどん売ることができる。住宅価格が上がり続けていた時期はそれが実現できた。

ホームエクイティローンも、住宅価格が上がり、「空き担保」つまり担保力が増すと、その分を与信枠として新たに資金を借りられるというものだ。ホームエクイティローンで資金をさらに借り、自動車などのモノを購入して消費行動に走り、あるいは株式投資などを行うことができる。10年間、元本は手つかずで、金利のみしか払わないという新手のローンも組まれてきていた。

こうした金融商品が次々に開発され、金融マーケットをどんどん膨張させていった。徹底した「先食い経済」の暴走を促進していたわけである。

それでも、アメリカはそれをバブルではないと信じていた。アメリカには世界中から移民が押し寄せ、それが旺盛な住宅需要の源泉となっている。住宅価格は、「収益還元法」、つまり家賃収入を基準にした利回りで決定されており、合理的なものだ。住宅ローンは小口に証券化され、リスクは分散される。デリバティブなど金融工学の高度化で、アメリカはバブルとは永遠に無縁の経済を実現したと思い込んでいた。

そのうえ、ブッシュ大統領のアメリカは大幅減税とアフガニスタン、イラクでの戦争を同時並行で行ってきている。「市場原理主義」に名を借りているが、その実、需要拡大という面では目一杯「ケインズ経済政策」を行ってきているといえるだろう。皮肉なことに、アメリカがケインズ政策を必要としなかったのはケインズ政策以上のことをしていたためだった。
　
景気のアクセルを吹かしまくり、「先食い経済」に歯止めをかけることはまったくなかった。いわば、「市場原理主義」の暴走が、いまの二度目の“世界大恐慌”という深刻で惨めな事態を招いている。

「市場原理主義」の密かな蘇生こそ追い込まれたアメリカの最終兵器

アメリカは「市場原理主義」に懲りただろうか。まったく懲りていないというのが結論だ。アメリカは「金融帝国」として生き残るしか手がない。我慢強く時期を待たなければならないが、反攻のときは来るとみているはずだ。そのとき、アメリカの最終兵器になるのが、あの「市場原理主義」である。

アメリカの“一人勝ち”の経済構造は、アメリカの「金融帝国」化で実現されてきた。日本、中国などは、円、元の自国通貨をドルに対して安い水準に保ち、モノをアメリカに輸出する。世界最大の消費マーケットであるアメリカでドルを稼ぐ。その代わりに、ドル高にして日本、中国などが稼いだドルを、ドル債購入などの格好でアメリカに還流させる。

アメリカの金融市場は「市場原理主義」で極限まで自由化が施され、アメリカは金融という利益を貪れる分野で心おきなく大稼ぎを行う。　　
アメリカは、毎年、７０００億ドル台という巨額の経常収支赤字をタレ流しているが、それはとりもなおさず、アメリカの過剰消費の産物だ。日本などは、アメリカという他人の懐に頼った外需に過度に依存し、唯一、トヨタ自動車やトヨタグループ各社を太らせるのみの経済に走った。

しかし、いまはその枠組みが崩壊した。アメリカの「金融帝国」という構造も崩壊し、日本の「輸出（外需）依存経済」構造も同時に崩壊している。まるごと共倒れの状態だ。

その点では、アメリカ、日本の政府当局の利害は“一致”している。もとのアメリカの“一人勝ち”経済構造に世界を戻す。アメリカとしては、「金融帝国」の座を再び構築するしかサバイバルの手立てがない。アメリカはそこまで追い込まれている。アメリカとしては、「市場原理主義」という最終兵器を格納庫に深く隠し、生き返らせる時期をじっと息を殺して伺うことになる。2009年以降の世界経済の行方はそこが焦点となるだろう。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
サブプライムローン破綻に端を発したアメリカ発の金融恐慌は、あっという間に、世界中を覆いつくしてしまった。世界は、いま、新たなる“大恐慌”の只中にいる。<br />
<br />
<strong>世界を支配してきた「市場原理主義」という神の突然死</strong><br />
<br />
巨大な金融恐慌は、これまでの全能の神とされ、世界経済を席巻・支配してきた「市場原理主義」を直撃した。<br />
いまという時点では、「市場原理主義」というアメリカがつくりあげた神は死んだに等しい状況になっている。<br />
<br />
だが、世界のマネーを自国に還流させファイナンシャル・ビジネスで荒稼ぎをしてきたアメリカが、むざむざその巨利を生む魔法の杖を捨て去ることはありえない。<br />
その魔法の杖とは、「市場原理主義」にほかならない。<br />
<br />
アメリカはファイナンシャル・ビジネスでしか生き残る方法がない。すでにアメリカはモノづくりを放棄している。アメリカは時期を見ながら、生き残りを賭けて、じっくりと「市場原理主義」の蘇生を密かに図ることになる。<br />
<br />
市場には神が宿る――。市場からあらゆる規制や政府介入を排除し、できる限り自由な市場にしていけば、神の見えざる手によって、経済は繁栄を遂げていく。「新自由主義」とも呼ばれているが、「市場原理主義」の信念、つまり確固たる考え方は、そうしたものだった。<br />
<br />
リーマン・ショックを境に世界の金融市場は、100年に一度、あるいは1930年代の「世界大恐慌」に匹敵するといわれる大混乱に陥っている。<br />
この大混乱は、金融だけではなく、自動車を筆頭に世界のあらゆる実体経済に広範囲かつ深刻な打撃をもたらしている。<br />
<br />
しかも、金融、実体経済とも、どこでこの大津波を鎮めることができるのかのメドをいまだつけるにいたっていない。下手をすれば世界を底の見えない大不況に陥らせる可能性すら否定できない。<br />
<br />
<strong>世界の救世主は「見える手」＝財政出動に早変わりした</strong><br />
<br />
この新たな巨大な恐慌により、世界は一夜明けたら、「市場原理主義」から、政府の市場経済への介入に大転換を遂げてしまった。死んでいたはずのケインズ政策、すなわち「市場原理主義」の対極にある財政出動を伴う経済政策が一気に甦っている。<br />
<br />
こんな大変化も100年に一度のことに違いない。まさに驚きの早変わりである。<br />
グリーンスパン前ＦＲＢ議長が、「銀行などが利益を追求すれば、結果的に株主や会社の資産が守られると思っていたが、間違いだった」と、「市場原理主義」の誤りをあまりにも率直に認めた。<br />
<br />
グリーンスパンは、まぎれもなく「市場原理主義」の司祭であり、アメリカを1980年代のどん底から1990年代の“一人勝ちの経済”に導いた大立者である。<br />
それは苦悩の告白であったに違いない。「市場原理主義」という神の死を司祭自らが認めた瞬間だった。<br />
<br />
「市場原理主義」では、政府が人為的に市場経済に手を入れるなど、神の領域を侵す行為とされてきた。市場を自由放任にすれば、例外なしにすべてうまくいく、というのがグリーンスパンその人の信念だった。「市場原理主義」の立場からは、ケインズ経済など無神論・瀆神的な考え方扱いをされてきた。<br />
<br />
ところが、世界を席巻した考え方・信念にほかならない「市場原理主義」が、まるで嘘のように吹き飛んでしまっている。世界の経済は、その救世主を、神の見えざる手から、人の見える手＝財政出動に、急遽差し替えたのである。<br />
<br />
規模を問わない、しかもそのうえ素早い見える手、「大型で迅速かつ持続的な財政出動が必要だ」、という発言がアメリカのポールソン財務長官、ルービン、サマーズの元財務長官などから相次いで打ち出されている。ウソだろ、といいたくなるが、それが現実である。<br />
<br />
<strong>アメリカ“一人勝ち経済”のレバレッジはまさに「市場原理主義」だった</strong><br />
<br />
筋金入りの「市場原理主義」たちを宗旨替えさせたものは、アメリカを筆頭に直面している世界経済の危機の深刻さにほかならない。では、何故このような目も当てられない惨状をさらす羽目になったのか――。<br />
<br />
アメリカにどん底から“一人勝ちの経済”という奇跡をもたらしたのはまぎれもなく「市場原理主義」だが、それは金融市場で最大の効果を発揮した。アメリカは、自動車などのモノづくりをあきらめ、金融工学を駆使したフィナンシャル・ビジネスに活路を求めた。<br />
<br />
富裕層ではない、つまり信用力が低い人々向けの住宅ローンであるサブプライムローンなどの金融商品の開発などがその典型にほかならない。サブプライムローンで住宅を購入し、当初の２年間はローンの支払いは軽減される。その間に住宅が値上がりすれば、担保・信用力が上がり、低金利のプライムローンに移行できる。<br />
<br />
あくまで住宅価格が上がるということが前提条件だが、富裕層ではない人々にも住宅ローンをどんどん売ることができる。住宅価格が上がり続けていた時期はそれが実現できた。<br />
<br />
ホームエクイティローンも、住宅価格が上がり、「空き担保」つまり担保力が増すと、その分を与信枠として新たに資金を借りられるというものだ。ホームエクイティローンで資金をさらに借り、自動車などのモノを購入して消費行動に走り、あるいは株式投資などを行うことができる。10年間、元本は手つかずで、金利のみしか払わないという新手のローンも組まれてきていた。<br />
<br />
こうした金融商品が次々に開発され、金融マーケットをどんどん膨張させていった。徹底した「先食い経済」の暴走を促進していたわけである。<br />
<br />
それでも、アメリカはそれをバブルではないと信じていた。アメリカには世界中から移民が押し寄せ、それが旺盛な住宅需要の源泉となっている。住宅価格は、「収益還元法」、つまり家賃収入を基準にした利回りで決定されており、合理的なものだ。住宅ローンは小口に証券化され、リスクは分散される。デリバティブなど金融工学の高度化で、アメリカはバブルとは永遠に無縁の経済を実現したと思い込んでいた。<br />
<br />
そのうえ、ブッシュ大統領のアメリカは大幅減税とアフガニスタン、イラクでの戦争を同時並行で行ってきている。「市場原理主義」に名を借りているが、その実、需要拡大という面では目一杯「ケインズ経済政策」を行ってきているといえるだろう。皮肉なことに、アメリカがケインズ政策を必要としなかったのはケインズ政策以上のことをしていたためだった。<br />
　<br />
景気のアクセルを吹かしまくり、「先食い経済」に歯止めをかけることはまったくなかった。いわば、「市場原理主義」の暴走が、いまの二度目の“世界大恐慌”という深刻で惨めな事態を招いている。<br />
<br />
<strong>「市場原理主義」の密かな蘇生こそ追い込まれたアメリカの最終兵器</strong><br />
<br />
アメリカは「市場原理主義」に懲りただろうか。まったく懲りていないというのが結論だ。アメリカは「金融帝国」として生き残るしか手がない。我慢強く時期を待たなければならないが、反攻のときは来るとみているはずだ。そのとき、アメリカの最終兵器になるのが、あの「市場原理主義」である。<br />
<br />
アメリカの“一人勝ち”の経済構造は、アメリカの「金融帝国」化で実現されてきた。日本、中国などは、円、元の自国通貨をドルに対して安い水準に保ち、モノをアメリカに輸出する。世界最大の消費マーケットであるアメリカでドルを稼ぐ。その代わりに、ドル高にして日本、中国などが稼いだドルを、ドル債購入などの格好でアメリカに還流させる。<br />
<br />
アメリカの金融市場は「市場原理主義」で極限まで自由化が施され、アメリカは金融という利益を貪れる分野で心おきなく大稼ぎを行う。　　<br />
アメリカは、毎年、７０００億ドル台という巨額の経常収支赤字をタレ流しているが、それはとりもなおさず、アメリカの過剰消費の産物だ。日本などは、アメリカという他人の懐に頼った外需に過度に依存し、唯一、トヨタ自動車やトヨタグループ各社を太らせるのみの経済に走った。<br />
<br />
しかし、いまはその枠組みが崩壊した。アメリカの「金融帝国」という構造も崩壊し、日本の「輸出（外需）依存経済」構造も同時に崩壊している。まるごと共倒れの状態だ。<br />
<br />
その点では、アメリカ、日本の政府当局の利害は“一致”している。もとのアメリカの“一人勝ち”経済構造に世界を戻す。アメリカとしては、「金融帝国」の座を再び構築するしかサバイバルの手立てがない。アメリカはそこまで追い込まれている。アメリカとしては、「市場原理主義」という最終兵器を格納庫に深く隠し、生き返らせる時期をじっと息を殺して伺うことになる。2009年以降の世界経済の行方はそこが焦点となるだろう。</p>
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		<title>恐慌の季節性～恐慌はなぜか秋口に集中して起きている</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Oct 2008 13:58:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[Uncategorized]]></category>

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		<description><![CDATA[
世の中はあっという間に恐慌バージョン一色

世の中、どこを見ても恐慌バージョンである。
新聞は、世界中から悪い情報をかき集めて一面を飾っている。本屋の店頭は、あっという間に、恐慌本ばかりが並んでいる。

銀行に行ったら、為替のコーナーがどっと超満員――。円高を利して、急激に安くなっているドル、ユーロを買っているお客とのことである。これもドル暴落、ユーロ暴落という恐慌バージョンならではの動きである。
急遽、ネット証券に口座を開くといった人たちの行動もそれと同じことに違いない。

企業経営者に会ったら、景気悪化で出費を抑えるというような話ばかりである。これまでの業績好調がまるでウソのような変わりようだ。

株価はもちろん連日の暴落、トヨタ自動車などの株価を含めてＰＢＲ1倍割れが当たり前になっている。
異常なことの連続だが、これが恐慌というものなのだろう。

「アメリカは子供だましの単純詐欺のようなサブプライムローンで恐慌になってザマみろ」

快哉を叫んでいたニッポンの一国資本主義、というか愛国資本主義の人々も、恐慌の巨大な連鎖でどんな感慨を持っておられるのやら。

恐慌は秋口に起こるという決まりごと

昨年来、恐慌の法則性、決まりごとについて語ってきている。

今回の恐慌の決まりごとは、恐慌は秋口に起こるということである。あの1929年のＮＹダウ大暴落も10月後半のことである。
どういうわけか恐慌は秋口に起こるのが決まりとなっている。

恐慌が秋口に集中しているのは、サービス経済、製造業経済以前の農業経済の骨盤が関連しているといわれている。
農業は、春先にタネを蒔いて、秋口に収穫をする。収穫量、価格、つまり需給などが秋口に決定し、ついては翌年の需給もおおよそ見えてくる。その時期が秋口である。

そうしたことから見ると、いまがいちばん、人々が恐慌心理に陥るときということもいえ
るわけである。

年を越して来春になれば、恐慌心理も落ち着きを取り戻すことになるだろう。
世の中のあまりの恐慌バージョン一色ぶりに、閑話休題のヒマネタながら、恐慌の季節性に触れることにした次第である。
 
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<strong>世の中はあっという間に恐慌バージョン一色</strong><br />
<br />
世の中、どこを見ても恐慌バージョンである。<br />
新聞は、世界中から悪い情報をかき集めて一面を飾っている。本屋の店頭は、あっという間に、恐慌本ばかりが並んでいる。<br />
<br />
銀行に行ったら、為替のコーナーがどっと超満員――。円高を利して、急激に安くなっているドル、ユーロを買っているお客とのことである。これもドル暴落、ユーロ暴落という恐慌バージョンならではの動きである。<br />
急遽、ネット証券に口座を開くといった人たちの行動もそれと同じことに違いない。<br />
<br />
企業経営者に会ったら、景気悪化で出費を抑えるというような話ばかりである。これまでの業績好調がまるでウソのような変わりようだ。<br />
<br />
株価はもちろん連日の暴落、トヨタ自動車などの株価を含めてＰＢＲ1倍割れが当たり前になっている。<br />
異常なことの連続だが、これが恐慌というものなのだろう。<br />
<br />
「アメリカは子供だましの単純詐欺のようなサブプライムローンで恐慌になってザマみろ」<br />
<br />
快哉を叫んでいたニッポンの一国資本主義、というか愛国資本主義の人々も、恐慌の巨大な連鎖でどんな感慨を持っておられるのやら。<br />
<br />
<strong>恐慌は秋口に起こるという決まりごと</strong><br />
<br />
昨年来、恐慌の法則性、決まりごとについて語ってきている。<br />
<br />
今回の恐慌の決まりごとは、恐慌は秋口に起こるということである。あの1929年のＮＹダウ大暴落も10月後半のことである。<br />
どういうわけか恐慌は秋口に起こるのが決まりとなっている。<br />
<br />
恐慌が秋口に集中しているのは、サービス経済、製造業経済以前の農業経済の骨盤が関連しているといわれている。<br />
農業は、春先にタネを蒔いて、秋口に収穫をする。収穫量、価格、つまり需給などが秋口に決定し、ついては翌年の需給もおおよそ見えてくる。その時期が秋口である。<br />
<br />
そうしたことから見ると、いまがいちばん、人々が恐慌心理に陥るときということもいえ<br />
るわけである。<br />
<br />
年を越して来春になれば、恐慌心理も落ち着きを取り戻すことになるだろう。<br />
世の中のあまりの恐慌バージョン一色ぶりに、閑話休題のヒマネタながら、恐慌の季節性に触れることにした次第である。<br />
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