グッドルーザー(よき敗者)などなまじにはなれない
「グッドルーザー」は稀有なこと
自民党首脳から「グッドルーザー」(よき敗者)論が出ているが、ちょっと違うのではないかと思わざるを得ない。
「グッドルーザー」になるには、敗北を敗北として認めなくてはならない。その上で、何故、敗北したのか、その原因のなかの原因を突き止めなくてはならない。「グッドルーザー」になるには、それが最低限の要件となる。
これがそう簡単ではない。原因は他人のせいにしたがるものである。そのほうが自らに痛みが伴わないし、先輩や仲間を責める必要もない。小さなプライドも保てる。責任も問わなくてよいし、誰にも傷もつかない。
下手をしたら敗北を敗北として認めないことすら出てくる。自分、そして自分たちは「被害者」だ、と楽なほうにと議論は流れる。
それでは「バッドルーザー」以外の何者でもない。
「バッドルーザー」は、本来、「グッドルーザー」論などを語る立場にないのに評論している。これこそ最悪の「バッドルーザー」である。れっきとした敗者が、「グッドルーザー」論などを流していること自体が、わきまえがないということになりかねない。
「風のせいだ」「風が悪かったのだ」。
自分を責めなくてよいから、みんなでそう言っていれば、そのうちみんなが本気でそう思い込んでしまうことになる。
「風」が巻き起こされたのは、どうしてなのかは、忘れてしまう。そのうちに「よい風」、「追い風」が吹いてくる。それまで待っていればよい。
敗北の原因も、さらに敗北そのものも忘れることになる。何もしないで「風」の流れが変わるのを待つというスタンスになる。
企業の世界でも「グッドルーザー」は多くない
企業の世界、あるいは経営者をみていても、「グッドルーザー」というのはそう多くはない。大半が、「バッドルーザー」である。
「バッドルーザー」でも蘇ることがある。それは自然治癒であり、まだ生命力があったということなのだろう。だが、生命力が衰えているケースが大半で、多くは糾合されたり、吸収されたり、消えていく。
「グッドルーザー」である企業はもともとほとんど数少ないが、しっかりと再生してくることになる。
旧い事例になるが、戦後、倒産しかけたトヨタがカイゼン、ジャストインタイムなどで立ち直り日本一の企業になったことなどが典型的な事例ではないか。負けたことで、世界に類例のないビンボー人の「自動車生産方式」を構築した。稀有な例というしかない。
あるいは、最近のケースでいえば、キリンホールディングスがそうした事例に入ると思われる。「キリンはスーパードライに負けた」。2000年前後に当時の佐藤安弘社長が社内改革に着手したことが、いまの反転攻勢につながっている。
それ以前のキリンの経営者は、ビールでアサヒに負けていないのだから、発泡酒や新ジャンル・第三のビールといった“羊頭狗肉の策”は必要ないというのが基本の考え方だった。
「晩酌していて旨くなかった」
当時、佐藤安弘社長は、負けていることを怒っていた。そして、負けていない、と言い張る経営者たちに怒りを持っていた。ただし、それは辛いことであり、軋轢すら生じることになりかねない。下手をすれば、会社のよき伝統にすら泥を塗ることになりかねない。辛い。“晩酌がまずい”という日々になる。
佐藤社長は、発泡酒「淡麗<生>」に賭けた。案の定、“羊頭狗肉”“まがいもの”と内外から批判を浴びた。
しかし、はたして「淡麗<生>」は、このジャンルのトップ商品となり、その後の新ジャンル・第三のビール「のどごし<生>」、「コクの時間」などでの凄まじい快走に弾みをつけた。
どう負けるかで先々の姿が決まる。負け方次第、負けをどう生かすかで稀なことだが、グッドルーザー、“破れざる者”になることもできる。どう負けるか、負けをどう生かすか、で企業経営も大きくベクトルが異なることになるということではないか。
ヘラヘラと「グッドルーザー」論などを評論している自民党に「グッドルーザー」になる資格は残されているのだろうか。

小倉正男(おぐら・まさお) 評論家 早稲田大学卒業後、71年東洋経済新報社入社、記者・編集者、企業情報部長、金融証券部長、編集局次長、名古屋支社長・中部経済倶楽部専務理事などを歴任。07年共同PR名古屋支社長。著書に「M&A資本主義」「倒れない経営」「トヨタとイトーヨーカ堂」「日本の時短革命」「第四次産業の衝撃」など多数。



