剰余金109兆円、100年に一度の危機に1円も取り崩さない「法人資本主義」
トヨタ自動車、キャノンといった日本を代表する“経団連会長企業”が先頭を切って行った大量の非正規社員雇用打ち切りで表面化したのが、日本の大企業の内部留保の分厚さである。はしなくも、日本の資本主義の異様さが露呈したわけだが、企業内部に残した巨額の剰余金などは、世界的にみても類例がないものだ。
資本金10億円以上の大企業の剰余金は、08年9月ベースで109兆円強の水準にある。「巨額の剰余金は、一〇〇年に一度といわれるいまの経済危機にこそ使われるべきカネではないか」という意見がメディアから出されるのは自然な成り行きだが、現実はそうはなっていない。日本の大企業は、109兆円強という膨大な剰余金を営々と貯め込みながら、それを生きガネにしようとする意気込みをみせていない。
本社敷地など埋蔵金型内部留保も膨大な「法人資本主義」
剰余金は、企業の内部留保の中心だが、資本剰余金と利益剰余金で構成されている。とりわけ、この間、増加しているのが利益剰余金である。利益剰余金とは、稼ぎ出した期間利益を積立金、繰越利益という形で企業内部に残したカネのことだ。
日本の大企業は10年前に比べて、剰余金を32兆4000億円ほど増加させている。この剰余金増加分だけで正社員年収の620万人分になると試算されている。法人税率が実質40%超と世界的に高い部類に入る日本で、世界的にみても異常に高い剰余金の積み増しが行われていることになる。
以前には、分厚い剰余金は、キャッシュリッチのシンボルとされ、その割には収益力が低く株価も低いということでハゲタカ風のファンドなどのM&A攻勢の危険にさらされる要因だった。いまはファンドの衰退でM&Aの危機が去ったが、実は日本企業の内部留保は何も巨額の剰余金だけではない。
剰余金以外にも日本の大企業には、隠れた内部留保がある。例えば、東京や大阪など大都市に本社ビルや工場を持つ企業は、不動産という形でキャッシュになり変わりうる含み資産を持っている。いわば、これなどは埋蔵金型の内部留保になる。
日本の資本主義の本質はかねてから「法人資本主義」と指摘されてきているのだが、異様なほどの内部留保の分厚さは、隠されていたその本質がはしなくも露呈しているとみるべきである。
もちろん、トヨタ自動車やキャノンなどにしても、「我々が切ったのはあくまで非正規社員であり、正規社員には指一本触れていない」、という言い分はあるに違いない。これらの日本の優良企業にとっては、メディアの非正規社員切りへの感情をまじえての社会的な批判は、予想を大きく超えたものだったとみられる。
従業員、株主には薄く分配、法人に分厚く報いたのが巨額剰余金
利益剰余金だけに限定しても、トヨタ自動車12兆7000億円、キャノン2兆9000億円にみられるように日本の優良企業は巨額のキャッシュを貯め込んできている。
企業の内部留保が分厚くなるというのは、設備投資、M&Aなどの先行投資をしていない、期間工、派遣などを含む従業員に給料、ボーナスの格好で厚く分配していない、株主、投資家にも配当、自社株買いなどので厚く報いていない、といったことで生み出されている。
従業員にはこの間の景気回復にはボーナスなどの変動費で報い、ベースとなる賃金などの固定費は上げないままで推移してきている。株主には、このところ、配当の増加があった、とメディアは伝えているが、元々が低水準な配当だったわけで世界的には依然としてまだまだ低配当でしかない。
要は、企業が稼いだ利益の分配の問題なのだが、大きな偏りがみられるわけである。企業が稼いだ利益を、稼いだ割には従業員、株主に分配していないのが日本の資本主義である。
「企業が倒産などの危機に陥るといったような、いざというときのために利益剰余金などの内部留保を分厚くしておく必要がある」
これが、日本企業が稼いだ利益を翌期に繰り越して利益剰余金をひたすら積みまして企業に蓄積してきた日本の大企業経営者たちの大義名分にほかならない。
何のことはない。企業(法人)は、自らの企業(法人)にいちばん分厚く分配している。“転ばぬ前の杖”も確かに必要だが、杖を使う人間が痩せ細り、杖のみが超え太っているようなものだ。
本末転倒、アメリカの資本主義が「株主資本主義」なら、日本の資本主義は「法人資本主義」である。日本の資本主義は「法人資本主義」であるという批判が1980年代後半の不動産バブル期に行われたが、それはまったく変わらず生き残っているということになる。
確かに、あの不動産バブルは、日本の大企業がカネ余りのなかでオフィス用地を買い漁ったことが発火点になっている。80年代の日本に勃発した不動産バブルは、日本の製造業がアメリカなど世界で稼いだカネが国内の金融機関に滞留し、それがサービス産業などに供給されて起こされた法人による投機現象だった。
アメリカのサブプライムローン破綻では、とりあえず住宅の買い手が個人である。ところが、日本のバブルでは常に企業にカネが溜まりすぎることから発している。同じバブル、バブル崩壊現象でも、根本的に趣を異にしている。
「社得」なし!剰余金が生きガネになった事例はまったくない
日本企業の分厚い剰余金も実体としてはすべてキャッシュというわけではない。株式や債券に化けているケースも少なくないわけだから、かなり“傷ん”でいることも想定できる。ただし、目減りはしているが、すべて吹き飛んだわけではない。
では、これら貯め込んだ剰余金をいつどういう状況なら使うのか。ひたすら従業員や株主への分配を抑え、企業の体力のみを養ってきたわけだが、それが習い姓となり、そもそも何のための剰余金なのか目的が喪失している。日本企業にとっては、いつどんなときに剰余金を活用するかのメドはまったく考えてこなかったのが実情である。
その点では、皮肉にもこの世界的な経済危機は、日本企業の利益配分を振り返って考えるよい機会になっている面がある。この経済危機がなければ、日本企業は目的を問わずどこまでも剰余金を積み上げていくことになったに違いない。
「企業が倒産するといった、いざという危機のときに剰余金を取り崩す」、という剰余金取り崩しの一定の尺度が曖昧ながら語られているが、それはあまりに観念論にすぎる。倒産などという緊急事態にまで企業が陥ったときは、実は剰余金の大半がなしくずしで使われており、“机上の論”でしかないのが通例だ。つまり剰余金が生きガネとして使われるといった事例は、日本資本主義にまったくないのがこれまでの実体ではないか。
「法人資本主義」では人間の豊かさはどこまでも後回し
トヨタ自動車、キャノンなどのキャッシュリッチの優良企業の多くは、「剰余金など取り崩して使い出したらアッという間に消えてなくなるものだ」としている。確かに、それはそういうものだろう。しかし、そうであるなら驕れる者も驕らざる者も同列であり、ともに久しからず、ということになる。
それなら、日本企業の代表にほかならないトヨタ自動車あたりが、剰余金を生きガネとして活用することを考え抜いて、他の一般の日本企業に模範事例を示すような行動を取ることが必要ではないかと思われる。
以前の2000年~01年当時のことだが、トヨタ自動車会長としていわば経営者としてのピーク時に、日本経団連前会長(トヨタ自動車・前取締役相談役)の奥田碩が発言した「社得」とはそうしたことではないか。「リストラするなら経営者は腹を切れ」。奥田碩は、そうした正論を吐いて、日本にはまっとうな経営者が数少ないが存在することを示した、といわれた。
もっとも、01年当時の停滞期においては、“困難事は先送り”を常としてきた日本の大企業経営者がようやくリストラなど辛い社内改革に踏み出した時期だった。そうした辛い行動に踏み出した企業経営者にとっては、あまりに綺麗事に過ぎる発言だったことも事実である。
そのときにはトヨタ自動車は「人狩り」に発展するほど人手不足を抱える直前にあり、他の一般業界の企業が行っていたリストラを非難・批判できる立場にあった。状況が一変すれば、以前の発言はなかったものにするでは、残念ながら奥田碩・日本経団連前会長の「社得」発言や「リストラするなら経営者は腹を切れ」という歯切れのよい発言は、いわば付け焼刃だったことになりかねない。
そうしたことがないようにトヨタ自動車の豊田章男新社長は、はたして剰余金を生きガネとして使うことができるだろうか。事態は、トヨタ自動車のみならずだが、日本企業の「社得」そのものが問われていることになる。
経営者層を含む従業員たち、あるいは株主たちよりも、あくまで企業が最優先という「法人資本主義」では、他人の懐を当てにする外需依存の経済しか出口がない。そうしたところから日本の資本主義をベーシックに組み替えていかないと、日本の経済はいつまでもアメリカ、中国など需要先である世界経済の好不調に振り回されるしかない。あなた任せではない、相対的に安定した自立した経済を目指すには、第一義に経営者を含む従業員、株主などの個人を豊かにすることをベクトルに据えた「人間資本主義」への転換を志向すべきではないだろうか。

小倉正男(おぐら・まさお) 評論家 早稲田大学卒業後、71年東洋経済新報社入社、記者・編集者、企業情報部長、金融証券部長、編集局次長、名古屋支社長・中部経済倶楽部専務理事などを歴任。07年共同PR名古屋支社長。著書に「M&A資本主義」「倒れない経営」「トヨタとイトーヨーカ堂」「日本の時短革命」「第四次産業の衝撃」など多数。



