世界規模のM&Aに日本企業はどうやって立ち向かうのか
「座」の資本主義と「ユニクロ」の市場破壊&創造
「座」の資本主義と「族議員化」
「座」というものがつくられたのは室町幕府の時代かと思っていたら、そうではない。鎌倉~平安時代、あるいはさらに奈良などの時代に遡る必要があるようだ。
平安時代や室町時代に「座」が強固に発達したのは、京都という街が異常なまで繁栄していたことと無縁ではない。
京都には100万人に近い人口が集まり、最大の経済圏だった。呉服を筆頭に鍋釜、刀剣、農具、酒類、ありとあらゆるモノの生産基地であり、かつ最大の消費マーケットだった。
ちなみに、呉服は太古に呉の国から3名の織姫を貰い受け、京都でつくられ始め、和服(倭服)になっていった。ここは閑話休題である。
平安時代も室町時代も時の権力者は、繁栄しているところから税金を取ろうとするものである。平安時代は、朝廷、公家、寺社が権力者であり、室町時代は武家が権力者なのだが、生産者に手っ取り早く税金をかける。
生産、営業、出荷に対して上納金として税を課したわけである。これが「座」の発生につながっていく。「税」と「座」は密接に関係しているのである。
「座」は生産者に始まり、そのうち卸業者、小売業者にまで広がっていく。権力者は、それらの業者から上納させ、その代わりに、いまでいう「族議員化」していくことになる。
上納金を取られる側としては、大人しく払ったわけではない。上納金を払う代わりに、業界内の自治権を取ることになる。業界内に新規参入する場合の許可、不許可の権限を業界が握ることになる。それが「座」である。
上納金の代償として、カルテル結成権を取ったことになる。権力者は、もっぱら「族議員化」し、それを認めていったわけである。
権力者と生産者の結託、それが「座」である。生産者は権力者に上納金・税を納めるが、その分は利益に上乗せし、消費者に押し付ける。それは既得権益であり、そういうものだということで慣習化していく。
ファーストリテイリングは「亡国的な企業」という議論!?
生産者は、業界という「共同体」をつくり、護送船団よろしく一社もツブさないように行動する。大塚久雄氏の『共同体の理論』では、「資本主義は、あらゆる共同体を崩壊させる」とされているが、日本の資本主義は「共同体」で根底がつくられている。
消費者庁などをつくって高い家賃のビルにお役人を座らせても、絆創膏を張る以下の効用もない。日本の資本主義の根底を見ないで、消費者庁などつくってもそれこそ税金のムダ使いである。ムダな役所は、仕分けの対象にしたほうはよいだろう。
「座」は、中世からの友愛といえば友愛なのだが、身についている問題だけに、どうにもならない。「座」の構造を崩壊させるのは、まだ兆しすらなかなか見えない。
ところで、「ユニクロ」は良い商品を驚くような価格で市場に出している。友人から、「ユニクロ」を展開しているファーストリテイリングには、「亡国的な企業」という評論があることを耳にした。資本というものは、国という枠組を超えたものなのだが、「愛国」「亡国」という枠組で非難されているという話だった。初耳の話である。
確かに、「ユニクロ」商品は、全国の衣料店を閉店に追い込むインパクトがある。価格破壊どころか、市場破壊である。だが、一方で、新しい市場を創造しているのも事実である。
消費者にとっては、消費者庁などといったものは早く仕分けにして、「ユニクロ」を顕彰したほうがよいような話である。
「ユニクロ」のような商品が、「座」の構造を基本にした日本の資本主義に風穴を開けている数少ない事例なのかもしれない。
確かに一方で、旧い市場が死ぬのは、生産者としては辛いことである。しかし、旧い市場、旧い企業を温存させることは、表面的には“暖かい”ことで、まさに“友愛”だが、それは本当に暖かいことで友愛なのだろうか。
モラトリアム(借金返済猶予)で弱った企業を延命させることは、「座」の資本主義の伝統には沿っているのだが、果たして、日本はそれでよいのか。
いっそ、消費者庁に続いてモラトリアム庁をつくって「ユニクロ」退治を行うか――。「亡国的な企業」という評論には、そんな下地が感じられないではない。
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グッドルーザー(よき敗者)などなまじにはなれない
「グッドルーザー」は稀有なこと
自民党首脳から「グッドルーザー」(よき敗者)論が出ているが、ちょっと違うのではないかと思わざるを得ない。
「グッドルーザー」になるには、敗北を敗北として認めなくてはならない。その上で、何故、敗北したのか、その原因のなかの原因を突き止めなくてはならない。「グッドルーザー」になるには、それが最低限の要件となる。
これがそう簡単ではない。原因は他人のせいにしたがるものである。そのほうが自らに痛みが伴わないし、先輩や仲間を責める必要もない。小さなプライドも保てる。責任も問わなくてよいし、誰にも傷もつかない。
下手をしたら敗北を敗北として認めないことすら出てくる。自分、そして自分たちは「被害者」だ、と楽なほうにと議論は流れる。
それでは「バッドルーザー」以外の何者でもない。
「バッドルーザー」は、本来、「グッドルーザー」論などを語る立場にないのに評論している。これこそ最悪の「バッドルーザー」である。れっきとした敗者が、「グッドルーザー」論などを流していること自体が、わきまえがないということになりかねない。
「風のせいだ」「風が悪かったのだ」。
自分を責めなくてよいから、みんなでそう言っていれば、そのうちみんなが本気でそう思い込んでしまうことになる。
「風」が巻き起こされたのは、どうしてなのかは、忘れてしまう。そのうちに「よい風」、「追い風」が吹いてくる。それまで待っていればよい。
敗北の原因も、さらに敗北そのものも忘れることになる。何もしないで「風」の流れが変わるのを待つというスタンスになる。
企業の世界でも「グッドルーザー」は多くない
企業の世界、あるいは経営者をみていても、「グッドルーザー」というのはそう多くはない。大半が、「バッドルーザー」である。
「バッドルーザー」でも蘇ることがある。それは自然治癒であり、まだ生命力があったということなのだろう。だが、生命力が衰えているケースが大半で、多くは糾合されたり、吸収されたり、消えていく。
「グッドルーザー」である企業はもともとほとんど数少ないが、しっかりと再生してくることになる。
旧い事例になるが、戦後、倒産しかけたトヨタがカイゼン、ジャストインタイムなどで立ち直り日本一の企業になったことなどが典型的な事例ではないか。負けたことで、世界に類例のないビンボー人の「自動車生産方式」を構築した。稀有な例というしかない。
あるいは、最近のケースでいえば、キリンホールディングスがそうした事例に入ると思われる。「キリンはスーパードライに負けた」。2000年前後に当時の佐藤安弘社長が社内改革に着手したことが、いまの反転攻勢につながっている。
それ以前のキリンの経営者は、ビールでアサヒに負けていないのだから、発泡酒や新ジャンル・第三のビールといった“羊頭狗肉の策”は必要ないというのが基本の考え方だった。
「晩酌していて旨くなかった」
当時、佐藤安弘社長は、負けていることを怒っていた。そして、負けていない、と言い張る経営者たちに怒りを持っていた。ただし、それは辛いことであり、軋轢すら生じることになりかねない。下手をすれば、会社のよき伝統にすら泥を塗ることになりかねない。辛い。“晩酌がまずい”という日々になる。
佐藤社長は、発泡酒「淡麗<生>」に賭けた。案の定、“羊頭狗肉”“まがいもの”と内外から批判を浴びた。
しかし、はたして「淡麗<生>」は、このジャンルのトップ商品となり、その後の新ジャンル・第三のビール「のどごし<生>」、「コクの時間」などでの凄まじい快走に弾みをつけた。
どう負けるかで先々の姿が決まる。負け方次第、負けをどう生かすかで稀なことだが、グッドルーザー、“破れざる者”になることもできる。どう負けるか、負けをどう生かすか、で企業経営も大きくベクトルが異なることになるということではないか。
ヘラヘラと「グッドルーザー」論などを評論している自民党に「グッドルーザー」になる資格は残されているのだろうか。
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小倉正男(おぐら・まさお) 評論家 早稲田大学卒業後、71年東洋経済新報社入社、記者・編集者、企業情報部長、金融証券部長、編集局次長、名古屋支社長・中部経済倶楽部専務理事などを歴任。07年共同PR名古屋支社長。著書に「M&A資本主義」「倒れない経営」「トヨタとイトーヨーカ堂」「日本の時短革命」「第四次産業の衝撃」など多数。
